特急気動車 キハ82誕生
特急気動車はキハ81形が昭和35年に誕生し、翌年には、改良形のキハ82を先頭車とする特急用気動車が増備されましたが、昭和36年7月頃から順次落成し、連日試運転が行われたそうです。
手元に、昭和36年11月号の鉄道ファンがあるのですが。この中で、「各地にくりひろげられたディーゼル特急の試運転」という記事が出ています。
落成後の試運転はユニークな編成で
この記事を参照しますと非常に興味深いお話が書かれていました、文章をまるごと引用す訳にはいきませんので概要を書かせていただきますと、キハ82を先頭とする改良型の80系気動車はですが、車両メーカー付近で試運転が繰り返されたそうで、汽車会社【東京地区】は、尾久~日光間、新潟鐵工所【現・新潟トランシス】では新潟~田口、日本車輌【名古屋地区】では、名古屋~中津川付近で試運転が行われたそうです。
試運転ですので、当初は中間車のみが先に落成して、キハ81を先頭にして試運転が行われたそうですが、先頭車が製造される頃になると逆に、キハ82が4両、中間車に食堂車4両繋いだ編成とか営業運転では絶対見られないような編成が中央西線を走ったそうです。
鉄道ファン 昭和36年11月号から引用
他にも、勾配線区での様子を測定すると言うことから、大阪地区では、京都~亀山【おそらく、草津線経由】を走ったと書かれています。
落成後に行われた性能試験
特に改良型のキハ80系は、横型機関を採用し、キハ57で採用されたディスクブレーキを新たに採用した、言わば気動車の総仕上げという意味合いもあったことから、これらの性能確認と将来の設計に供するデータ収集の目的で8月末から全国的な規模に渡る試験が行われたそうです。
8月28日~8月30日早朝 東海道本線 大船~平塚間で各種試験が行われたそうです
基礎性能試験
110km/hからのブレーキ性能試験
全車軸の2/3のブレーキを開放して残りの1・3の車軸だけでブレーキを掛けつつ、10台のエンジンをフル運転
など、勾配線区でのエンジンの調子とディスクブレーキの限界を同時の測定する
等過酷な試験が行われたそうです。
全国行脚の特急試運転
さらに、9月1日からは、「ディーゼル特急試運転」のマークを先頭に掲げて基本の6両編成が試運転を行ったそうです。
順路は下記の通りです。
上野→(東北本線経由)→福島→(奥羽本線経由)→秋田→青森→(奥羽・羽越・信越・北陸本線経由)→大阪→(山陽・鹿児島)→博多→(山陽・鹿児島)→大阪→(北陸)→金沢→直江津→(信越)→長野→上野
全日程9日間の行程でした。
全区間で、走行性のが確認され、問題が無いことを確認したと言われています。
さらに、福島~米沢間の33‰区間ではEF16との協調運転が行われたそうです。
鉄道ファン 昭和36年11月号から引用
これは全国へのお披露目も兼ねていたようで、ディーゼル車両の技術員が連日乗り込み、各種のデータも採取されたと書かれています。
所属区での試運転列車も連日運行
また、この試運転と並行して函館・尾久・向日町(完成までは宮原・梅小路】の各基地から連日練習運転が開始されたそうで、ダイヤも編成も改正後の正規の編成であり、区間も予定通りであり、白鳥のように大阪~上野・青森といったロングラン列車も走ることになりました。
この試運転は9月1日から27日まで連日行われたそうで。その間に発生する初期故障も多々あったようですが、そのおかげで運転開始後は大きなトラブルも無かったと言われています。
*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html
日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
最新の画像[もっと見る]
- 第59回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号 昭和43年9月9日 第一話 1ヶ月前
- 第59回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号 昭和43年9月9日 プロローグ 2ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第16話 3ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第15話 3ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第14話 4ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第13話 6ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第12話 8ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第11話 9ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第10話 9ヶ月前
- 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第9話 11ヶ月前
東京~博多まで直通となると昼行では15時間程度かかることとなり、朝6:00出発で翌21:00となってしまうことや、既に急行列車で夜行列車も多数運転されていましたしね。
それ以上に、東京~大阪を気動車運転できる運転士が確保できなかったと思います。
動力車免許は同じですが、その運転できる種別は個々に決められていましたので、その場合気動車運転のための運転士を転換教育させることになり、現実的には難しいわけです。
まぁ、当時は貨物も旅客も国鉄が引き受けるのでむしろ直通列車の場合は客車の方が色々な意味で使い勝手が良かったという事情もあります。