「ほろびた国の旅」 いつかこどもに読ませたい1冊
「ほろびた国の旅」 三木 卓(著) 盛光社 1969年
1969年盛光社から赤羽末吉の挿絵で出版、すばる書房、角川文庫からも出ているがいずれも絶版となっているのが残念
どうやって読むかとなれば図書館で探すしかない。そんな本を紹介するなといわれそうですが、本当に残念です
*2010年現在、講談社から出ているようです。
以下、読後感(いわゆる感想文)として書いたものなので
物語の結末にも言及しています
とても悲しい物語である。浪人生となった青年三木卓が、図書館をたずねると、こどもの頃満州で遊んだ覚えのある若者に出会う。そして、彼とともに、自分が少年時代を過ごしていた大戦中の満州へと時間を逆行する。そこでは<満州のこども、五族協和のゆうべ>という祭りが開かれていた。電飾に飾られ、こどもの好きな菓子にあふれたそのまつりは、一見楽しげに見えるが、占領者である日本人と被占領者である支那人、満州人、朝鮮人との間に厳然たる一線が引かれ、「日本人」の傲慢と無法が蔓延していた。戦後からの来訪者である三木青年は、敵国人の血が混じる少年安治を日本人のこどもの暴力から助け、少年時代の自分は彼らとは違っていたはずだと問うが、安治から聞く自分自身の姿は、立派な「愛国少年」でしかなかった。あたりまえのように差別が行なわれ、それがなんの違和感も無かったがために、記憶の中に罪の意識が芽生える場所も無かったのだ。普通に差別し、知らぬ間に迫害していた自分がそこにあった。こどもが普通にそうなるのだろうか。こどもの世界にまでどうしてそのような悲惨が染み出してくるのか。<五族協和の夕べ>に参加する支那人、満州人、朝鮮人そして日本人を乗せた満鉄あじあ号がうなりをあげて走るさなか、少年は記者であった自分の父親に出会う。どうしてあなたは大人の社会で矛盾と戦うのをやめたのか。青年三木卓は問いかける。父は、こどものため、幼かった彼のためだと答える。こどものために社会に対して口を閉ざし異を唱えるのを止める。大人たちが沈黙するその社会はこどもたちに何をもたらすのか。幻の満鉄あじあ号は戦争末期の世界へともんどりうって脱線し、敗戦の八月、ソ連軍の進行に対して軍隊がいち早く逃げ、弱い者たちが取り残された満州の最後の時に三木青年は放り出された。そこで見たものは、林の木の根元にもたれるようにして動かなくなったこどもたちだった。それはやすんでいるように見え、それ以上の苦しみを放棄したやすらかな眠りにも見えた。大人たちの醜さがこどもたちの遊びの中にも蔓延し、その仕返しをもっとも手厳しく受けることになるのが、か弱い彼らであるということ、その非業に憤りを覚えないものはいないはずだと思う。少なくとも常識を備えた人ならば。
この話は、ほろびた国「満州国」への著者三木卓自身の自己回帰の旅の物語である。戦争が何であったかを知った三木青年が過去への旅をする。それは幻であるはずの旅なのだが、占領者として振舞う自分の姿、占領者への従順を装いながら強い意思を示す被占領者としてのこどもたちは、本当に実在していた。過去から離れていくと、自分はそれほどひどい迫害者では無かったはずだという合理化が行なわれてしまう。こどもどうしの間でもおとなの世界そのままに傷つけあっていたことを物語として再構成し、著者三木卓は、読者に歴史の風化を許さず過去に厳しく向き直ることを求めてる。
初めて読んだ時には、そこに語られているメッセージよりも、純粋に時間を超えた旅のセンチメンタル、物語としての面白さに惹かれて、重さ、悲しさをあまり感じなかった。二度目を読み返したのはいつだったか、この時はつらくて読み直したことを後悔したようにも思う。それは、この物語がメッセージ性が強すぎて、読者に解釈を許さず、問いかけへの回答をすぐに求められているような気がしたからかもしれない。あなたは今何をするんですか。そうするどく問いかけられているような気がして、小市民たる者は聞かなければ良かったのにと思ったのだ。今は平和なんだからそっとしておいてくれればいいじゃないかと。
今改めて読み直したのは、この本をぜひ紹介したほうが良いのではないかなと思ったからだが、三度目にしてこれが少年むけの創作文学(物語)として書かれた意味をようやく実感している。歴史は繰り返す。今また「国旗」「国歌」を振りかざす輩が横行している。われわれは、過去から学ばなければいけない。事実としての過去がどうであったか、というだけでなく、経験から語られる言葉に重きを置かなければいけない。今くらいこどもの心が蝕まれ、自己本位の潮流が無批判に受け入れられている時期もないのではないか。少年が、この物語を素直に読む心を持っているのであれば、社会はまだまだ捨てたものではないはずだし、そうであって欲しいと思う。こどもと、そして子を持つ親がぜひ読んで欲しい本である。
本に巡り合えればぜひ読んでほしい一冊です
「ほろびた国の旅」 三木 卓(著) 盛光社 1969年
1969年盛光社から赤羽末吉の挿絵で出版、すばる書房、角川文庫からも出ているがいずれも絶版となっているのが残念
どうやって読むかとなれば図書館で探すしかない。そんな本を紹介するなといわれそうですが、本当に残念です
*2010年現在、講談社から出ているようです。
以下、読後感(いわゆる感想文)として書いたものなので
物語の結末にも言及しています
とても悲しい物語である。浪人生となった青年三木卓が、図書館をたずねると、こどもの頃満州で遊んだ覚えのある若者に出会う。そして、彼とともに、自分が少年時代を過ごしていた大戦中の満州へと時間を逆行する。そこでは<満州のこども、五族協和のゆうべ>という祭りが開かれていた。電飾に飾られ、こどもの好きな菓子にあふれたそのまつりは、一見楽しげに見えるが、占領者である日本人と被占領者である支那人、満州人、朝鮮人との間に厳然たる一線が引かれ、「日本人」の傲慢と無法が蔓延していた。戦後からの来訪者である三木青年は、敵国人の血が混じる少年安治を日本人のこどもの暴力から助け、少年時代の自分は彼らとは違っていたはずだと問うが、安治から聞く自分自身の姿は、立派な「愛国少年」でしかなかった。あたりまえのように差別が行なわれ、それがなんの違和感も無かったがために、記憶の中に罪の意識が芽生える場所も無かったのだ。普通に差別し、知らぬ間に迫害していた自分がそこにあった。こどもが普通にそうなるのだろうか。こどもの世界にまでどうしてそのような悲惨が染み出してくるのか。<五族協和の夕べ>に参加する支那人、満州人、朝鮮人そして日本人を乗せた満鉄あじあ号がうなりをあげて走るさなか、少年は記者であった自分の父親に出会う。どうしてあなたは大人の社会で矛盾と戦うのをやめたのか。青年三木卓は問いかける。父は、こどものため、幼かった彼のためだと答える。こどものために社会に対して口を閉ざし異を唱えるのを止める。大人たちが沈黙するその社会はこどもたちに何をもたらすのか。幻の満鉄あじあ号は戦争末期の世界へともんどりうって脱線し、敗戦の八月、ソ連軍の進行に対して軍隊がいち早く逃げ、弱い者たちが取り残された満州の最後の時に三木青年は放り出された。そこで見たものは、林の木の根元にもたれるようにして動かなくなったこどもたちだった。それはやすんでいるように見え、それ以上の苦しみを放棄したやすらかな眠りにも見えた。大人たちの醜さがこどもたちの遊びの中にも蔓延し、その仕返しをもっとも手厳しく受けることになるのが、か弱い彼らであるということ、その非業に憤りを覚えないものはいないはずだと思う。少なくとも常識を備えた人ならば。
この話は、ほろびた国「満州国」への著者三木卓自身の自己回帰の旅の物語である。戦争が何であったかを知った三木青年が過去への旅をする。それは幻であるはずの旅なのだが、占領者として振舞う自分の姿、占領者への従順を装いながら強い意思を示す被占領者としてのこどもたちは、本当に実在していた。過去から離れていくと、自分はそれほどひどい迫害者では無かったはずだという合理化が行なわれてしまう。こどもどうしの間でもおとなの世界そのままに傷つけあっていたことを物語として再構成し、著者三木卓は、読者に歴史の風化を許さず過去に厳しく向き直ることを求めてる。
初めて読んだ時には、そこに語られているメッセージよりも、純粋に時間を超えた旅のセンチメンタル、物語としての面白さに惹かれて、重さ、悲しさをあまり感じなかった。二度目を読み返したのはいつだったか、この時はつらくて読み直したことを後悔したようにも思う。それは、この物語がメッセージ性が強すぎて、読者に解釈を許さず、問いかけへの回答をすぐに求められているような気がしたからかもしれない。あなたは今何をするんですか。そうするどく問いかけられているような気がして、小市民たる者は聞かなければ良かったのにと思ったのだ。今は平和なんだからそっとしておいてくれればいいじゃないかと。
今改めて読み直したのは、この本をぜひ紹介したほうが良いのではないかなと思ったからだが、三度目にしてこれが少年むけの創作文学(物語)として書かれた意味をようやく実感している。歴史は繰り返す。今また「国旗」「国歌」を振りかざす輩が横行している。われわれは、過去から学ばなければいけない。事実としての過去がどうであったか、というだけでなく、経験から語られる言葉に重きを置かなければいけない。今くらいこどもの心が蝕まれ、自己本位の潮流が無批判に受け入れられている時期もないのではないか。少年が、この物語を素直に読む心を持っているのであれば、社会はまだまだ捨てたものではないはずだし、そうであって欲しいと思う。こどもと、そして子を持つ親がぜひ読んで欲しい本である。
本に巡り合えればぜひ読んでほしい一冊です
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