「火星のタイム・スリップ」 進化とは何か、時間は正しく前に進んでいるのか
「火星のタイム・スリップ」“Martian Time-Slip”1964年作品
小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫SF 1984年初版
さて「火星のタイムスリップ」
個人的には「ヴァリス」を筆頭として「ユービック」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
に次いで印象深い作品である
ディックを読み漁っていたのはもう30年も前の話になる
改めてその時間の流れを考え、読み直しながら思うことは
その間の記憶を無くしてしまえば、これは正方向のタイムトリップである
そして、記憶をなくすということでは、覚えていることの方が少ない
ただでさえもの忘れが激しい方なので、この感じはディック的な時間喪失感である
30年前に読んだ本は、さらに15年から20年前に書かれた作品であり
書かれた時点の未来がすでに読んでいた現在に近いものもある
未来を意識した小道具がすでに古色蒼然として陳腐化してしまう
最先端のオーディオセットでテープがかかっているとか
書かれている未来がすでに過ぎ去った過去の時代に属するのである
私はどの時間軸に自分を置いて作品と対峙するのか
初めて読んだ時の驚きや興奮、いささかの倦怠
ディックが作品を練り上げていた時代性はそのプロットに大きく影響している
彼の時代に思いを遡らせるのか
ディックの意のままに、想定された舞台となる時代に浸るべきなのか
やはり今なのか・・・
「未来医師」の紹介の時に書きたかったことはそういう時間軸の錯綜と混乱
それはとてもディックを語るには面白い感覚だと思う
「ユービック」における「キップル化」と、この作品における「ガブル」または「ガビッシュ」
作品解説の多くは、これを比較し取り上げている
我々支配する自然法則によって、われわれは無秩序へと導かれる
ディックは無秩序化を形態が無秩序化する崩壊や散逸といったイメージではなく
時間的退行などによって巧みに表現し我々を惑わす
1980年の私は2010年をもっと漠然と明るい未来として漠然と思い描いていた
電子機器は小さくなったものの空間や時間的束縛を克服できていない未来人たる我々は
同時に政治的、理性的に「人類」を成長させていない
国家を超える概念や、武力行使によらない戦争、病や寿命も克服していない
結局、1980年代とそれほど変わらない日常に埋没している
人間が未来に期待していた発展や進歩の正のイメージ曲線から見れば
これは相対的「退行」であるのではないか
時間は本当に前に進んでいるのだろうか?
ハヤカワ文庫SF 1985年2刷のカバー
小尾芙佐訳 ハヤカワSFシリーズ 1966年初版
手元の「太陽クイズ」と違って、カバーにも書名が入っている
間違いなく面白いので読むように
「火星のタイム・スリップ」“Martian Time-Slip”1964年作品
小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫SF 1984年初版
さて「火星のタイムスリップ」
個人的には「ヴァリス」を筆頭として「ユービック」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
に次いで印象深い作品である
ディックを読み漁っていたのはもう30年も前の話になる
改めてその時間の流れを考え、読み直しながら思うことは
その間の記憶を無くしてしまえば、これは正方向のタイムトリップである
そして、記憶をなくすということでは、覚えていることの方が少ない
ただでさえもの忘れが激しい方なので、この感じはディック的な時間喪失感である
30年前に読んだ本は、さらに15年から20年前に書かれた作品であり
書かれた時点の未来がすでに読んでいた現在に近いものもある
未来を意識した小道具がすでに古色蒼然として陳腐化してしまう
最先端のオーディオセットでテープがかかっているとか
書かれている未来がすでに過ぎ去った過去の時代に属するのである
私はどの時間軸に自分を置いて作品と対峙するのか
初めて読んだ時の驚きや興奮、いささかの倦怠
ディックが作品を練り上げていた時代性はそのプロットに大きく影響している
彼の時代に思いを遡らせるのか
ディックの意のままに、想定された舞台となる時代に浸るべきなのか
やはり今なのか・・・
「未来医師」の紹介の時に書きたかったことはそういう時間軸の錯綜と混乱
それはとてもディックを語るには面白い感覚だと思う
「ユービック」における「キップル化」と、この作品における「ガブル」または「ガビッシュ」
作品解説の多くは、これを比較し取り上げている
我々支配する自然法則によって、われわれは無秩序へと導かれる
ディックは無秩序化を形態が無秩序化する崩壊や散逸といったイメージではなく
時間的退行などによって巧みに表現し我々を惑わす
1980年の私は2010年をもっと漠然と明るい未来として漠然と思い描いていた
電子機器は小さくなったものの空間や時間的束縛を克服できていない未来人たる我々は
同時に政治的、理性的に「人類」を成長させていない
国家を超える概念や、武力行使によらない戦争、病や寿命も克服していない
結局、1980年代とそれほど変わらない日常に埋没している
人間が未来に期待していた発展や進歩の正のイメージ曲線から見れば
これは相対的「退行」であるのではないか
時間は本当に前に進んでいるのだろうか?
ハヤカワ文庫SF 1985年2刷のカバー
小尾芙佐訳 ハヤカワSFシリーズ 1966年初版
手元の「太陽クイズ」と違って、カバーにも書名が入っている
間違いなく面白いので読むように
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