Linの気まぐれトーク

映画と小説の観賞日記

映画『きのう何食べた?』

2021-11-06 10:15:00 | 映画
2021年11月3日公開。


久しぶりの新作だ。
邦画をお金出して観るのも、
しかもテレビドラマの続編を観るのも、
かつては考えられなかったけど、
そんな変化を喜びたい。

面白かった。
正直、ドラマは観ていないし、俳優陣のファンでもなかったし、『おかえりモネ』ロスで観てしまった感アリアリだけど、妙に気になっていたのは確か。

安達奈緒子脚本
内野聖陽、西島秀俊 主演

「モネ」関係のニュースを見ると必ずと言っていいほど目にする「何食べ」。
ごつい内野と優しい二枚目西島のオッサンずラブ、というのも気になる。

内野聖陽は大河ドラマ『真田丸』で、徳川家康を演じているのを見て初めて知る。
無名の人にしては貫禄あるなあ、とビックリしたけれど、私が無知なだけだった。
紫綬褒章を授かる程の俳優だったとは。
その内野がオカマっぽい美容師で、西島演じる弁護士シロさんの恋人なのだから驚く。
漫画を原作とするタッチの軽妙さもまた笑いを誘い、
なんだかクスクスしながら観てしまった。

ある意味、男女の恋愛関係よりも打算がなく、障害が多い分、純粋さを感じた。
桜吹雪の下でのピクニックなんて、女の子の夢そのもの、それを本当に嬉しそうに楽しむことの尊さ。
恋人というより、本当に気の合った連れと、至高のひとときを過ごすって、なんて素敵なことなんだろう。
そんな連れが欲しい。

何も考えず、うっとりと過ごした映画館の2時間だった。
自分自身へのハードルを下げることもまた、加齢対策に大切なのだ。







映画『容疑者Xの献身』

2021-11-04 19:45:00 | 映画
もちろんDVD観賞。

ガリレオシリーズで映画化されているのは、
『真夏の方程式』とこれだけ。
『真夏の…』を先に観てしまったが、福山雅治の湯川も違和感なく受け入れられたので、
『容疑者Xの』にも手を伸ばしてみる。

湯川准教授として初めて登場する福山雅治は、結構な緊張感を伴っていたようで、最初は福山と分からなかったほど。
が、物語が佳境に差し掛かるにつれて、彼の表情も自然になる。

映画化とはスターを作ること、スターに演じさせること、でもある。
福山は小説ではサブキャラの湯川を見事主人公に据え、逆に草薙刑事をサブキャラ化した。
さすがだ。

映画と小説は別物だから、
湯川を主人公にするのも、福山のようなイケメンを使うのもあり、だと思う。

が、小説を読んだばかりの身には、犯人(というかトリック)はわかっている。
これは結構虚しく、興をそぐと今更ながら思う。
すぐに映画化されないのは、読者が謎解きを忘れるのを待ってのことか。
謎解きを忘れてしまうのは、わたしだけではないのかも。

だとすると、
なぜ〈忘れる〉のかを知るために再読している私に、忘れるのが当たり前、と言われてしまったようなもの。

おっと映画の感想、だった。
花岡靖子は松雪泰子が演じていたが、
小説ではそこまで美しさを強調してはいない。
というか、小説にわかりやすい美男美女は登場しないのだ。
映画はやはり別物と割り切るべきか。

堤真一の石神には度肝を抜かれた。
石神は小説を読む限り、ダサくてパッとしないダメンズなのだ。
それを堤真一が演じ抜いた。
石神になりきっての2時間10分だった。


やっぱり観てよかった。

小説・映画『真夏の方程式』

2021-11-02 21:22:00 | 映画
図書館から予約本の用意が出来たというメールと、ゲオでDVDを借りたのが同時。
さて、どちらを先にする?

観てから読むか、読んでから観るか。

なんてキャッチフレーズは何十年前のことだったか?
小説『真夏の方程式』は刊行してすぐに図書館で読んでいるので、正確に言えば〈読んでから観る〉だが、私ほど完璧に忘れていたら〈観てから読む〉に近いかも。
つまり、DVDを先に観た。


帝都大学の助教授・湯川学は、作者によると佐野史郎をイメージして描いたというが、映画では福山雅治が堂々の主役。
親友・草薙は北村一輝だが、原作ほどの活躍はなく、吉高由里子の岸谷がその役目を果たす。
あらすじは概ね原作に近い。
もちろん2時間10分に収めるための端折りと演出があるのはやむを得ない。

『男はつらいよ』で若き博を演じた前田吟が足の不自由な旅館主を演じ、その妻役が風吹ジュンだったのも時の流れ。

映画も小説も、どちらも楽しめた。
もちろん、味わいは違う。



湯川と草薙の男の友情を愛する私としては、映画の演出は許し難いということになるが、
それはそれでよし、と思えるのはいい加減なのか、年の功なのか。
ガリレオシリーズで映画化されているのは、本作と『容疑者Xの献身』だけらしい。
そちらもいつか観てみよう。

映画『人魚の眠る家』

2021-10-18 17:07:00 | 映画
2018年製作。
堤幸彦監督 
篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎 出演



もちろん原作は2015年に読んでいるはず。
いやあ、こんなに重い話だったか。
ミステリとは言いながら、殺人も推理もなく、
脳死は人の死か、という重いテーマだけがあった。

今観ると、身につまされて客観視するのが難しい。
わたしだったらどうする? と刃物を突き付けられた気分だ。
クライマックスシーンから涙が止まらなかったが、映画に泣かされたというより、身につまされて泣いた。
涙と共に観た人はきっと同じ気持ちだと思う。

あらすじをざっと辿ると、
従姉妹とその弟を、祖母(松坂慶子)がプールで遊ばせる。
もうこの時点で、祖母の気持ちがわかり過ぎて苦しい。

篠原の娘がプールで溺れ、脳死状態になってしまう。
そして、駆けつけた両親は残酷な宣告を医師にされる。
「こんな時に何ですが、臓器提供について娘さんはどうお考えでしたか?」と。
「娘は6歳ですよ。そんな話、するはずないじゃないですか」

篠原はわずかな希望に縋り、目を覚さない子を家に連れ帰る。
彼女の夫、西島はIT機器会社の社長。
金に糸目をつけず娘を介護し、自社の社員(坂口)を使って娘を動かす機器まで駆使する。
この辺りから、ホラーになる。
篠原の笑顔は怖い。

しかし、普通の家庭なら脳死を受け入れるしかなかったはず。
不和になっていた夫を経済的理由で引き止め、植物状態の娘に付きっきりになれる境遇に、普通はない。
現実離れした設定だ。
が、親子の情愛は説得力があるし、
脳死は人の死かという問題は未だ正解はないので、身につまされずに観る人はいないだろう。

その意味でとても重かった。
二度と観ることはないだろうし、原作を読み返したいとも思わない。
東野作品、小説は忘れたが映画は忘れられないかも。

女装について思うこと

2021-10-17 14:18:00 | 映画



『リリーのすべて』は、2015年、アメリカ、ドイツ、イギリス制作。トム・フーパー監督。
2016年のアカデミー助演女優賞を受賞しているらしいが、そんな大作を観る思いはさらさらなく、観賞の動機は女装男性の気持ちを知りたかったから。
実話をベースにしており、原作は1920年代のデンマークのようだ。

2人ともプロの画家。
妻は人物を、夫は風景を描く。
同業者にありがちな妬みはなく、お互いをリスペクトし、愛し合っている理想的な夫婦だ。
ある日、モデルが間に合わなかったことから、夫を女装させてモデルにすると、彼に不思議な気持ちが芽生え始める。
夫は自身の中の女性的な部分に目覚めたのだ。
それからは恋愛の対象も男性になり、妻の献身的な愛とは裏腹に、彼女とは別の道を歩き始める悲劇を生んでしまうのだが…

もう1ヶ月以上も前に一度だけDVD観賞し、これはダメ、受け入れられないと感想を書くことも2度見することもスルーしていたが、逆に書かないことで記憶にこびりつくのかもしれないので日記にする。
観なかったことにはできない。

知り合いが女装ブログを始めた。
動機はLGBTとかではなく、女性が好きだからもっと気持ちを知りたくてと、本人は言うが。
それを観てときめく女性はいないだろうから、対象は男性ということになる。
今まで私はその人の何を見ていたのだろう。
それが〈新しい自分の発見〉なのだろうか。

この映画でも、次第に女性化していく夫(リリー)に、アイナー(夫)を返して、と嘆くシーンがあった。

人間関係って、役割に過ぎないのか。
それを超えたものがあると思いたい。

いや、それを描いたのが『リリーのすべて』だったはず。
その人とはこんなことがあって普通の付き合いは出来なくなってしまった。
秘め事は秘め事のままでいいのではないか。
カミングアウトする必要はあったのだろうか、とふと思う。