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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-06 06:52:29 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
石井隊長は軍神か
当時は柄沢班の技手であった赤沢さん(仮名)は、石井隊長の印象を次のように語っている。

 石井隊長は一兵卒の前でも平気で佐官級の将校をどなりあげた。わしらの前である軍医大佐に、『軍医学校優等生で卒業した者がそのザマは何だ。そんなものが解らんか』とこっぴどく叱られたことがあった。
 またあるとき私は、隊長が学会に発表する資料をつくるために立入禁止の貼り紙を出して部屋で誰も入れず実験をやっていた。それは、科学天秤で、1グラムの1000分の1の重さを測定する、カンマ測定であった。なにしろハエが舞っても天秤が動くぐらいの、とても神経をつかうものだった。ところが、貼り紙を無視して日直司令が扉をあけた。私はせっかくの測定が無駄になったと、カッとなり上官をなぐってしまった。
 私は直ちに私の直属の上司である、菊地閣下と2人で隊長室へ呼びつけられた。上官侮辱罪というのは軍隊では重罪だった。隊長はまず「おお馬鹿野郎」と叱り、理由をいってみろといった。私が釈明すると、「うんそうか。お前は2日間の謹慎だ」とその場でけりがついた。部隊内で私は、上官の司令をなぐったのはあいつだとえらく評判になったものだった。石井隊長は下級隊員はかわいがったが、問題にしなかったと見る方が正しいかも知れない。(明日に続く)

※731部隊では普通の実験施設ではできない生体実験をしてその成果を学会で発表していた。もちろん人間を使って実験したとは書かず、サルを使ってとかごまかした。学会で731の知名度のアップも図りたかったのだろう。(ノブ)

 
 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

邱金夫(男、67歳)の証言
1937年の12月に日本軍が南京を占領する前、飛行機で爆撃し、大砲で南京を砲撃しました。12月13日に南京が陥落してから、日本軍は焼き殺し強姦し、為さざる悪事はありませんでした。
 南京が陥落した時、私は難民区の金銀街に入って避難しました。日本軍が入ってきて何日もしない内に、難民区に突っ込んで来て、1日に何度も捜査しましたが、私たちと一緒に住まっていた丁という難民が、日本軍に寝台の下の捜査で壮丁訓練用のベルトを見つけられ、直ちに銃殺されました。丁さんが銃殺された後、私たちは木の箱に死骸を入れて、北を向いた高い斜面の上まで抱えて行って埋葬しましたが、そこに殺害された人が18人いるのを見ました。
 私たちの隣の6号に、青年が2人いたのが、日本軍が捜査した時、活きたまま銃剣で突っつき殺されました。
 1度、私たち何人かが金銀街から出て上海路へ行くので、横丁の角まで行ったら、日本兵の1隊が来て、上海路を西から北へ向かうのを見、私たちあわてて一方へ避けました。中国人が1人お椀を1つ両手でささげ持って道端にいたのを、日本軍がその前まで来て、猛然と長い刀を引き抜いて一太刀刺したら、その人がすぐに倒れ、カランとお椀が落っこったのをこの眼で見て、私たち何人か恐くて胸がどきどきしました。(明日に続く)
※日本軍は武器を持っていない人々も、殺してしまった。南京が陥落すれば、中国は降参すると言う観測もあったようだ!!無理な強行作戦で、日本軍兵士もかなりイライラしていたようだ!!(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界


基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」 


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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