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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-29 13:11:49 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
メスをにぎる私(赤沢証言)
 赤沢さんの証言は次に恐るべき核心に迫っていく。

 二木班での2年間は、勉強と研究につぐ日々であった。それこそあらゆる勉強をさせられた。ドイツ語、フランス語、内科学、外科学等々とみっちりしぼられた。私の助手の少年隊員は、ハルピン医大へ俸給つきで研究に行って、戦後立派な医者になっている。今考えてみても、当時の731部隊の研究レベルは、相当高いものだったように思える。
 昭和16年からは、病理班に移った。ここは血液の分析、あらゆる細胞組織の研究、たとえばルンゲ(肺臓)、レーベル(肝臓)、ミルツ(脾臓)、ダルン(腸)など一切を研究していた。この頃から私は、とことん病理研究を極めてやろうという、意欲が湧き上がってきた。そして、陸軍技手に任官した時から、解剖学を学び、学科と実地の双方を並行して学びことになった。。
 私は、実際に執刀を命ぜられメスを握ることになった。初めてメスを握り、のど元から一直線にメスを入れ、臍部でかわし、さらに、下腹部からホルデン(睾丸)まで一気に切り裂いた時は、緊張しあぶら汗がが流れた。肋骨を外し、すべて臓器を取り出し並べる。記録者はどこにブルデン(出血)しているか、どこが腫脹しているか、一つひとつ克明に確かめ、記録する。
 私が扱ったものは、すべて死亡したもので、それを解剖したのだ。しかし、息を引き取ってから24時間待つという一般の原則は守れなかった。まだ、暖かみの残るものだった。特に破傷風で死亡したものは、死後6時間経過すると解剖の価値がなくなってしまうので、研究班の強い要請もあって、息が止まれば直ちに死斑、死硬も出ぬうちに解剖した。(明日に続く)

※今の常識では考えられない死の判定を行い、解剖を行っていたのではないか?人間を物として扱い、自分の研究のために、(当時は戦争に勝つためにか分からないが、もちろん組織内での競争もあったろう。)夢中になってメスを握ったという感じだ!!人体の構造・働きを調べるために、生体実験で苦しんで死んだマルタ(被験者)をまた、死後?(まだ私は生きていたと思うが)また、徹底的に切り刻んだという印象を持つ。731で行われていたことは、人間の倫理観・道徳観が全く排除され、人間をモルモット同様に扱った悪魔の所業だった。 いったんその組織に入れば、強い上下関係から、有無を言わせず命令され、最初は多少躊躇しただろうが、研究者もだんだんいろいろなことを自発的に疑問も持たずに出来るようになったのではないか?(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬忠山(男、69歳)の証言
 身に寸鉄も帯びていない無辜の民である父と3番目の叔父と3番目の兄とをむごい手を使い、銃剣で3人を活きながらに突いて突いて突き殺しました。それから尚も火を放ち家をすっかり焼き尽くしました。家と続いていた十何軒かの人の家も焼かれてしまいました。その時私は田舎に疎開していて、そんな災難が我が家に降りかかっていたとは知りませんでした。1938年の2月に1番上の兄が江寧県から南京に帰って初めて、隣の人たちから事の次第を細かく聞いて分かったのでした。回族の人たちの埋葬隊の助けを得て、1番上の兄が父たち3人の遺骨を雨花台の南の花神廟に埋葬したのです。  1938年の4月に、我が家でよそに疎開していた者たちは南京に戻りました。旧あった家は焼き尽くされていたので旧のところには戻れず、親切な回族の同郷の人たちに助けられて、大香炉にあったある回族の人の空き家に住まわせてもらうしかありませんでした。
 こうして、我が家の家族3人と家財産のすべてが、凶悪な日本軍の手によって葬り去られたのです。我が家が受けたような苦しみは、その時南京の人民が受けた日本の賊の猛り狂った焼き払い、殺害し、強姦し、かすめ奪ったさまの縮図に過ぎません。(蒋宝霞と劉維玉が記録)
 

※何で女を逃がしたからといって殺されるのだろうか?血気にはやる日本軍は邪魔するものは容赦なく殺したようだ。
 南京に至るまでにたくさんの戦闘をし、たくさんの戦友が死んでいったことも感情を高ぶらせる原因になったようだ。殺された方はたまったものではない!!(ノブ)




憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが

平和をつくる世界を。


Imagine,

A world where women

create peace.


戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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