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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-08 08:16:51 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」


スーラ・スーラティは中国語・・・首をはねる意

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。

石井隊長は軍神か

石井隊長は夜に強い。まるで夜鷹みたいなもので「変事があったら夜、夜中でも起こせ、必ず連絡せよ」と常々言っており、何か妙案が浮かぶと、真夜中でも副官をたたき起こして会議を始める。私も深夜や早朝起こされて、隊長車を運転させられたこともしばしばあった。石井隊長の夜の私的な外出は、特務機関が年中護衛に当たっていた。
 第731部隊の要所要所は、石井隊長の出身地である千葉県の血族、同族で堅められていた。石井隊長の2番目の実兄剛男は、弟の隊長とは違って、小柄な人であったが「マルタ」特別班の責任者であり、3番目の実兄三男は動物班の責任者であった。
いずれも嘱託の技師であったが、嘱託といっても「閣下」級の勅任官まである。給料はどのくらいでも払えるし、地位ならどうにでもなるのだ。
 石井隊長は血族の兄達に、最高級の処遇をして、最高の地位に置いていた。これは1つには部隊のまとまりをつくるため、また1つには秘密のばれない措置ではなかったかと思う。(明日に続く)

※部隊長石井四郎は莫大な公金を遊興費に充てていた疑いがもたれ、途中から部隊長が北野政次に替わった事はこの前に書いた。とにかく夜にはいろいろな所に出かけたようである。それも当時日本国内では倹約して苦しい生活状況の中で、その国民からの税金を中国で湯水のごとく遊興費に使っていたのである。特務機関が護衛に当たっていたというよりも、もしかしたら、いろいろ疑いをかけられて、行動を監視されていたのかも知れない。
 また、兄弟や同郷の人たちを優遇したとある。これなども、昔ながらの強い村意識であろうか?よそ者を嫌って同郷者で結束をはかる。
 石井四郎は自分を中心にして、小さな1つの擬似天皇制を築き上げた。兄弟に最高の位を授け優遇し、同郷の者をよく使った。石井四郎は731の中では天皇のような存在であった。絶対であった。
 当時の日本軍は昭和天皇を大元帥と仰ぎ、また現人神であった。皇族もそれに順じ、司令官になって大きな影響力を持っていた。存在も皇族であれば神様のような存在であった。
 731部隊での石井家もそのようなものではなかったか?(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

趙長栄(男、70歳)の証言
 1937年の12月13日に、日本軍が南京を占領する前夜、家中で丹鳳街139号から前門の陰陽営の角に引っ越しましたが、裏門を出たところが上海路の難民居住区でした。南京が陥落した時、私は24歳で、家には泊まらずに、裏門の一面の竹林に隠れました。12月15日の朝家に戻り朝ご飯を食べようと出て来て、門を入ったところを日本軍に捕まってしまい、同時に捕まったのが妻の兄で20歳だった厳達福で、それから岳父と一緒に瓦を造っていたよその土地の人の、その時40歳くらいだった楊さんというのが、行くところが無くて、私たちと一緒に隠れていたのも、捕まって行きました。ほかに日本軍が別のところでもう1人捕まえてきて、私たちみんなで4人が、日本軍に四条巷の道端に集められました。その日の午後3時に、通訳がいて、日本軍の将校が来て捕まった人の数を数え、午前から午後まで、みんなで208人捕まえたのでしたが、将校が通訳に命じて、「お前らはみんな兵隊だったのか」と聞かれると、「兵隊ではありませんでした」と答えました。すると又「お前どこに秣(まぐさ)があるか知ってるか。どこに白砂糖や黒砂糖があるか。南京の蒋驢子家はどこか」と聞きました。(明日に続く)

※日本軍は南京陥落時に馬の飼料や自分たちの食糧の不足に悩んでいたことが将校の発言からよく分かる。(ノブ)
 

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

女性たちが

平和をつくる世界


ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
 この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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