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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-11 07:42:10 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅳ 日本の旗は
※途中、一部を割愛させていただきます。
ノミが兵器に変わる時
部隊本部の外れに、まわりが2メートルほどの塀に囲まれた建物があった。堀は深くないが、白っぽい消毒液が入れてある。その建物へ、堀を渡った橋がついている。ボタンを押すとちょうど勝鬨橋(かちどきばし)のように橋がはね上がるしくみになっている。ここはペスト・ノミの生産場であった。
 ここで生産されたペスト・ノミをどのように兵器化するか、731部隊ではこのようなことにも取り組んでいた。要は瀬戸物弾の開発である。瀬戸物弾の中は、ノミの飼育場になっている。弾丸の中に、寒天と肉エクスを入れて、ノミが飼育されている。2,3ヶ月は生きているようだ。
 瀬戸物弾は鉄の弾丸と違って、火薬が少量ですみ、高熱でノミを死滅させることがない。また大きな音もしないので、秘密が保てる。茶黒い土器に傷が入れてあるので、爆発時は細かく割れて四散し、痕跡をとどめない。瀬戸物弾からは、割れると生きたノミが飛び出し、人間の血を求めてはね回り、そして感染させるというしくみである。
 また、広大な飛行場の隅に、風下を確かめて倉庫のようなトタンぶきの建物が建てられていた。木造のタテヨコ3間と5間の大きさで、たたみ30畳ぐらいの部屋が用意されている。ここがペスト弾実験場である。
 建物の中は、壁の上にさらに幕が張りめぐらされ、それこそノミ1匹這い出さぬようにされている。この中にマルタが30本ぐらい、足かせをつけられ、詰め込まれている。(明日に続く)

※731部隊は人体実験をしながらどの菌が人間に一番効力があるかを確かめた。その結果、ペスト菌が有効と判断された。ペスト菌に汚染されたノミを瀬戸物(陶器)の爆弾に詰め込んで落下させる方法を考案し実施した。その実験段階でまた人間を使って、その効果を確かめた。本当に731部隊に捕まって被験者にされた人はたまったものではない!!この実験をした731部隊のメンバーのほとんどは戦争責任を問われることなく、ある者は戦後の医学会、ある者は研究機関、ある者は製薬会社(内藤良一は薬害エイズで問題になった『ミドリ十字』を設立)などで活躍した。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

李思義(男、72歳)の証言

 1937年に日本軍が南京を攻めて占領した時、私は26歳で、既に3人の子の父親でした。家が貧しく、南京を離れて逃げる能力がなく、難民区の冬瓜市に逃げて住まうしかありませんでした。
 1937年の冬月のある日、私が手に3番目の子を抱えていたら、不意に日本兵3人が突っ込んで来て、手に銃を構え、銃にはぴかぴか光る刀がささっていました。オイホーと大声でがなり、付いて来いと命じるので、私は手にしていた子どもを放すしかなく、どうしようもなくついて行きました。その時捕まった人はとても多く、日本軍は私たちを江辺まで連れて行き、私たちの一団に機関車を押して連絡船に乗せさせ、機関車が長江を渡れるようにさせました。その際に岸辺の黄土山を通った時、麓にあまねく数え切れないほどの屍が見え、長江にも無数の死体が漂い、波が被害者の髪の毛を打っていて、何とも見るに忍びないすさまじさでした。
 何日かした頃に、私は様子をちょっと見に太平南路33号の家に戻ろうとして、また日本軍に捕まり、飯炊きやクーリーをさせられましたが、その間に、日本軍が食べられるおかずになる物を見つけに私を連れて行き、糖坊橋を通った時に、通りの脇にはらわたが銃剣でほじくりだされた死体が倒れているのを見かけました。やがて日本軍の部隊が移動するので、私は通行券を1枚書いてくれるよう請求し家へ帰るのに放ってもらいました。
 冬月の末頃に、日本軍が良民証を出すのに、家があるのや女房がいるのや子どもがいるのは問題なかったのですが、無いのは5軒の家が連帯保証人になれば、良民として住み続けられるのでした。どれもみんな無かったら、中央軍だとみなして、一律に車に乗せて行き、家へ帰るのに送ってやるのだと言っていましたが、実際は銃殺されに引っ張って行かれたのです。(曹文富と陳小敏が記録)

※中国人はクーリーにされて重労働させられたり、飯炊きに使われていたのことがよく分かる。もちろんお金は支払われないだろう。死体がたくさん転がっているのを見るだけでも、心に強いショックを受けると思う。(ノブ)



憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

ひとりひとりの安全を

大事にする世界


 これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
 緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
 武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。

 2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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