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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-18 10:05:44 | Weblog

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅳ 日本の旗は
※途中、一部を割愛させていただきます。
トタンの詰襟
 安達実験場では、ペスト菌かコレラ菌の雨下実験があった。
 飛行機が超低空で飛んできて、十字の木に縛り付けられているマルタの上を、くり返し旋回する。直接よくは見えないが、飛行機に積んだ細菌のカンが開かれ、細菌が霧状になってゆっくり降下する。この場合、細菌がマルタに降りかかって、その吸引効果を見る実験なので、何としてもマルタが菌を吸い込む必要がある。そのため、マルタの首に部厚いトタンでつくった詰襟、つまりカラーが巻かれるのだった。
 厚いカラーであるから、マルタはどうしても頭を上に向けざるをえない。細菌雨を避けようとしてうつむけば、トタンが首に食い込む仕掛けになっている。どんなにこらえても、雨下実験中何度か呼吸をし、超低空の爆音に脅かされて、何度か眼も開かざるをえない。私は、その実験を見ていて、誰が考え出したのか知れないが、「よくもまあここまで・・・・・」と思ったものである。(明日に続く)

※「アジアの解放」とか「自存自衛の戦争」とか「大東亜共栄圏」とか言いながら始めた戦争の裏で中国でこんなにむごいことをして、最新兵器の開発に没頭していた。石井隊長は豪遊していたが!中国人・ロシア人などを人間扱いしないで実験材料にし、トタンの詰襟を首に巻かせてこれではたまったものではないだろう!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

林友余(男、66歳)の証言
 1937年の冬月に、日本兵が南京に攻めて来た時、私の家は江心洲の東紅村でした。ある日、日本軍の1人が家に闖入して来て、私に鶏の卵をよこせと要求したのですが、私が聞いても分からずにいたもので、日本軍は銃剣で私のみぞおちを狙って一太刀刺し、今でも手の甲ほどの大きさの傷痕があります。
 一度、私は同じ村の姚献忠と用事をしに橋林まで行った時に、日本軍が人を殺し、針金で人の首を橋の欄干にかけてみんなに見せているのを、この眼で見ました。

 
※銃剣でも中国人に危害を加えた。些細な理由で。日本では昔からさらし首が盛んに行なわれていたから、中国でも行なったのだろう。写真集「日本軍はこうして中国を侵略した」(「中国平和の旅」写真集編集委員会:アイネック学術出版)には日時・場所は不詳だが、日本刀を右手に下げ、左手には中国人の首を持ち笑っている日本兵の写真や、首だけを地上に出し、身体を埋めた中国人多数の写真が載っている。(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、9条をえらび始めた。



・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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河村発言に強く抗議する!!

2009-09-18 08:47:54 | Weblog
 河村市長発言に強く抗議する!!
 南京市と友好都市の提携をしている名古屋市長の発言としては決して許すことが出来ません!!
 即時、発言の撤回を要求します!!

 民主党に要望!!

 戦前・戦中・戦後の外務省・厚生労働省・防衛省・宮内庁等、国の機関に極秘に保管されている軍や国の資料を公開してほしい!!
 史実を明らかにしよう!!



【以下、河村発言に関する記事】

毎日新聞 2009年9月15日 14時14分

河村名古屋市長:
南京大虐殺「誤解されて伝わっている」

 名古屋市の河村たかし市長は15日開かれた市議会9月定例会の一般質問で、1937年の
南京大虐殺事件について、30万人以上が死亡したとする説について、「当時の南京の人口より多いので絶対違う」と否定し、「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されて伝わっているのではないか」などと述べた。

 河村市長は「おやじは終戦を南京で迎えた。南京の人に本当に優しくしてもらい、名古屋に帰ることができたと言っていた。30万人の虐殺があったら8年後に南京の人が優しくしてくれるのか」と疑問視。「一般的な戦闘行為で市民が亡くなったことはあった。捕虜収容所で放火があって市民が亡くなったり、残っている日本人を逃がそうとして銃撃戦になり、市民が亡くなった。そういうものが誤解されて伝わっているのではないか。事件そのものについて日中友好のためにきちんと検証し直す必要がある」となどと述べた。

 東郷哲也議員(自民)の市長の歴史認識を問う質問に答えた。

 河村市長は議会後、発言の真意について「日中友好を深めるため、正確なことを調べた方がいい。(死者数は)30万人説があれば、25万、3万もある。国会議員時代にも質問主意書を出している」などと語った。

 河村市長は著書の中で、「
南京大虐殺は国民党のプロパガンダだったかもしれないとか言っていると、『河村たかしは陰謀史観』とかいう声が聞こえてくる。ワシは特別変わったことを言っているわけではない」などと記している。

 衆院議員時代の06年には、政府に対し「いわゆる
南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出。教科書などに「市民や捕虜の殺害」などが記載されている根拠や、政府見解を改めてただした。当時の小泉内閣は「1937年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為等があったことは否定できないと考えている」と答弁書を出した。【月足寛樹、丸山進】


以下のメールが届きました。参考にしてください!!

みなさんへ

 南京市と友好都市の名古屋市長河村たかしが「30万人いなかったのだから南京の30万人は信じられない」「調査する必要ある」との暴言を市議会で繰り返し妄言している姿を9月15日夕方のニュースでTV報道しています。
 私は名古屋の友人から河村市長暴言を知らされました。私の友人や南京に調査に行った仲間にすぐTVの動画をおくりました。
 その後、「右翼の宣伝文句を確認もしないで公的な場で垂れ流すのはこの国の反アジア的姿勢であり、選んだ大衆も本人も最低!」と怒りながら抗議文をかきました。
 報道を添付し、同時に抗議文を作成しました。
 皆さん、短くていいですから、最初の数行を書いてあとはコピーアンドペーストして(名前を変えるだけでもいいから)以下の送り先にファックスでもメールでもすぐ送ってください。友人に転送を是非してください。抗議の声を上げて、少しの力でも、右傾化する日本への歯止めのひとつとなります。みんなでお尻を押していきましょう。(下にファックスとメルアドがあります)



                           2009年9月15日

河村たかし 名古屋市長 様

                   
南京大虐殺60ヵ年全国連絡会

                      共同代表松岡環  

電話・ファックス06-6628-8172

 抗   議   書

私たち
南京大虐殺60ヵ年全国連絡会は貴方の発言、「日中戦争中の、いわゆる『南京大虐殺』で30万人以上が死亡したとされる説に疑問がある。死者数などを再調査する必要性がある。(死者)30万人は絶対真実と違う。人口が30万人以下だったんですから。今まで言われてきたことには、深い疑問を持っている」など一連の事実に反する問題発言に、南京大虐殺歴史調査(加害兵士と被害者)や証言集会に携わってきた私たちは強く抗議いたします。

貴方は
南京大虐殺に象徴されているような日本の侵略戦争を認めることができず、疑問を持ち、かねてからの持論を市議会本会議の場で力説したそうですが、私人ではなく公的な市議会の場で、裏づけもなく右翼がでっち上げる誹謗中傷の言葉である『30万人は絶対真実と違う』とあきれるばかりの暴言を放っています。

 貴方は、単に歴史認識に疎いだけではなく、アジア諸国の人々に対しての偏見を持ち、人権感覚に欠けた放言をしています。

 今回、公人である貴方は、議会という公の場でこのような無知、無責任な暴言を繰り返しました。
 名古屋市の民衆の前での発言であり、貴方の暴言はテレビのニュースになって、またインターネット上で全国全世界に流れ出しました。
 このような発言は人間として許されるものではなく、まして政治家であれば、絶対にこのような軽率な言動は日本の国益をそこなうものであると知らなくてはなりません。
 まして、名古屋市は南京市と30年来の友好都市提携を結んでいて隣国との歴史の認識や善隣友好を第一義にし平和的な外交関係を確立するために、先人が努力してきたはずです。
 しかし、貴方の発言は後ろ向きであり、非常識極まりない発言でした。

 
南京大虐殺は日本の侵略戦争の中でも最も残虐で象徴的な惨案(残虐事件)の一つであります。
 中国の民衆にとって、侵略の象徴である
南京大虐殺を否定されることは「中国の歴史」のみならず「中国人そのもの」を否定されることと何人もの中国の友人が常々言っています。
 72年前とはいえ、未だにその後遺症に苦しみ、肉親を奪われ苦しみに耐え暮らしている人々が隣国にたくさん生活しておられます。
 そのために、日本人や政治家の歴史認識が、世界の常識とかけ離れ非常識極まりない発言を繰り返すたびに、
南京大虐殺の被害者や遺族の皆さんたちは、傷口に塩をすり込まれるごとき痛苦を感じてこられました。
 日本が好戦的な姿勢を正し、歴史の事実を認識し、被害諸国への心からの謝罪と次代への正しい教育を実施してこそ、世界の中でも尊敬される国へと変化できるものと確信しています。

私たち
南京大虐殺60ヵ年全国連絡会は、貴方の暴言・態度に心からの怒りを感じ、ここに強く抗議いたします。その姿勢を改め問題発言を撤回・謝罪されることを要求します。



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 年中無休でお答えし、電話でのお問い合わせは朝8時から夜9時まで。ただし、ファックス、電子メールは24時間受付けいたします。
電話番号 052-953- 7584 (Qはいつでもみんななごやし)
ファックス番号 052-971-4894
電子メールアドレス 7584@oshiete-dial.jp



很强地抗议!!河村市长发言
 不能作为做南京市和友好城市的协作的名古屋市长的发言绝对容许!!
即刻,要求!!发言的撤回

 民主党要求!!
战前·战时·战后的外务省·厚生劳动省·防卫省·宫内厅等,希望公开!!被国家的机关绝密保管的军队和国家的资料明确!!史实


【以下,有关河村发言的报道】

每日新闻2009年9月15日14点14分

河村名古屋市长:南京大虐杀「被误解传达着」

 名古屋市的河村Takashi市长关于作为15日打开了的市议会9月用例会的普通问题,关于1937年的南京大虐杀事件,30万人以上死亡了的见解,否定「因为比当时的南京的人口多绝对不同」,陈述了「有一般的战斗行为,不过,被误解不是传达吗」等。

 河村市长「父亲用南京迎接了战争结束。说着能请南京的人真的和善,名古屋返回。怀疑如果有30万人的虐杀8年后南京的人和善吗」。「由于一般的战斗行为市民死过。在俘虏收容所有放火市民死,变成枪战打算放跑留下的日本人,市民死了。那样的东西被误解不是传到吗?叙述了和等需要关于事件本身为了日中友好好好地重新验证」。

 对问东乡哲也议员(自民)的市长的历史认识的问题回答了。

 河村市长议会后,关于发言的本意「为了加深日中友好,最好是调查正确的事。如果有(死者数)30万人见解,也有25万,3万。谈了国会议员时代也发出问题主要意旨书」等。

 河村市长在著作中,「南京大虐杀是说不定国民党的宣传的说着的话,『河村Takashi阴谋史观和』海芋声音听见。记着鹫并不是说特别变了的事」等。

 众议院议员时代的06年,对政府提交「有关所谓南京大虐杀的再验证的问题主要意旨书」。把「市民和俘虏的杀害」等被记载的根据,政府见解重新成教科书等询问了。当时的小泉内阁发出了答辩书「认为由于1937年的旧日军的南京进城后,非战斗员的杀害又有掠夺行为等的事不能否定」。【月脚宽树,丸山进】

以下的邮件到达了。请要!!参考

诸位

 南京市和友好城市的名古屋市长河村Takashi「因为不在30万人南京的30万人无法相信」市议会反复「调查的有必要的」粗暴的话用9月15日傍晚的新闻TV报道妄言做的身姿。
 我从名古屋的朋友被迫知道了河村市长粗暴的话。马上把TV的动画移了到到我的朋友和南京去了调查的朋友。
 此后,「确认也不做右翼的宣传词句在公的场下垂流(放)是这个国家的反亚洲的姿势,选了的大众和本人都最低!一边发怒」一边写了抗议文。
 添加报道,同时制作了抗议文。
 诸位,短好,写最初的数行后边请拷贝粘贴传真也邮件马上也送到(光是改变名字也好)以下的送达地点。请朋友转送明辨是非。发出抗议的声音,稍微的力量,也成为对向右倾斜化做的日本的制动器之一。全体推屁股吧。(下有传真和邮件地址)



                                







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