浄土真宗の他力とは(1)
他力とは如来の本願力なり
小林一茶は、熱心な浄土真宗門徒だったとのこと。
「古池や蛙(かわず) 飛び込む水の音」
しか知らなかったのですが、僧侶になって一茶の言葉を色々と見つけています。
私の寺の住職に教えていただいた小林一茶の言葉を一つ紹介します。
「他力信心他力信心と 一向に他力にちからを入れて頼み込み候輩は
つひに他力縄に縛られて 自力地獄の炎の中へぼたんとおち入候」
他力他力他力 とよく言う方がおられます。
そのような方にこの言葉をお話しさせていただきます。
他力他力と強調する方がおられますが、自力地獄の炎の中へぼたんとおち入っているんではないですか?
私も気をつけようと思います。
また
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
という句があります。
「あなた」とは阿弥陀仏のこと。「年の暮れ」とは自身の晩年のこと。
浄土へ往生できるかどうか自分には確かなことは分からないけれども、ともかくも阿弥陀様におまかせします、ということです。
おまかせすると言うことは何か?
阿弥陀様の生まれて来た意味を「聞(もん)」ということ。
親鸞聖人は
「聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」とおっしゃっています。(信巻)
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