二尊の遣喚
って皆さんよく聞くのではありませんか?
【キーワード】 二河白道、釈迦の遣言、弥陀の招喚
前は弥陀
後ろは釈迦に
中は我
押され引かれて参るうれしさ
(出典 古歌)
◎釈迦「きみ ただ決定して この道を尋ねて行け、かならず死の難なけん。もし止まらば すなはち死せん」
弥陀「なんぢ 一心に正念にして ただちに来たれ、われよく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」
☆「玄義分」の序題門には、
「仰いでおもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、
弥陀はすなはちかの国より来迎す。かしこに喚び
ここに遣はす、あに去かざるべけんや」(『真聖全』一 ・四四三)
とあり、
「散善義」の回向発願心釈には、
「仰いで釈迦発遣して指へて叫方に向へたまふことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまふによりて、いま二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生るることを得て、仏とあひ見えて慶喜することなんぞ極まらんと喩ふるなり」(『真聖全』一・五四一)
とあリマス。
また、『浄土文類聚鈔』には、
「仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚によりて、水火二河を顧みず、かの願力の道に乗ず」(『真聖全』二・四五二、『聖典全書』二・二七四)
とあリマス。
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