今日もいい日だ。

50才から僧侶を目指し、自分探しの旅を続けている凡夫の物語

教師のことも気になる

2017-05-05 13:46:51 | 仏教学校の学生

JUGEMテーマ:仏教学校の学生



 



イヤー教師のことも気になるのです。



 



課題は、4つ。
先請伽陀(無本)、
頌讚(本の持ち込みオッケー)、
ご文章(聖人一流章以外で自分で選べる)、
作法(登礼盤か降礼盤かのどちらか)です。
 



 



 



http://www2g.biglobe.ne.jp/~ota/nisshi/souryo_yousei.htm



 



http://ameblo.jp/fresh-onions/entry-11891935346.html



 



 



 




8.「教師教修」のこと



「教師教修」は、住職として必要な教義に関する知識や、様々な法要を企画・運営するためのノウハウ、作法を学ぶためのものである。



 内容は、「得度習礼」に比べて格段にレベルアップしていた。勤行の時間も「得度習礼」に比べてはるかに長かったし、法要の教修内容も多岐にわたっていた。教学については、もはや「学問」という領域に近かったように思う。



しかし、正直言って「教師教修」は「得度習礼」に比べれば楽であった。内容が楽だということではなく、「僧侶」としての自覚がそれなりにできていたし、何よりも「覚悟して行った」からそう感じたのだと思う。



「教師教修」の間も、もちろん「精進料理」を食べ続ける。最終日、昼前に終わったので私は帰りの列車までの待ち時間に一人本山に行き、お礼参拝した後、宗務所内の食堂で「刺身定食」を注文した。久しぶりに食べる動物性たんぱく質である・・・はずであった。しかし出てきたのは「刺身に似せた『こんにゃく』の定食」であった。実はその日は16日で、親鸞聖人の命日であり、本山の食堂は「精進料理の日」なのであった。



9.おわりに



 私は以上のような過程を経て、「教師衆徒」となった。定年退職してから自坊「浄土真宗本願寺派瀧谷山了明寺」の住職を継承すると、私が第18代目となる。



 「得度」が3月で、4月から新潟市内の高校に新採用で赴任したため、ご覧の通りの頭に、スーツ姿の私を見て、当時の校長先生はずいぶん驚かれたことと思う。生徒も私を見て「ちょっと危ない筋の人」と思ったらしく、赴任当初は私が歩いていると生徒はよけて通った。しかし、3ヶ月もすると少ないながらも髪は元通りになり、今度は生徒は私にわざとぶつかってくるようになった。



 「教師教修」は教員になってから行った。クラス担任をしている時、7日間(休日をはさんでいたので)ほど連続して年次休暇をいただいた。事情を理解して、休暇を許可してくれた校長先生や教頭先生、同僚の先生方に感謝するとともに、生徒たちに申し訳ないことをしたと思っている。



 釈尊が正覚の後、鹿野苑で最初の説法をしたとされるが、その中に「四諦八正道」という教えがあった。「四諦」とは、



「苦諦」:人生の実相は「苦」である。



「集諦」:「苦」の原因は「煩悩」である。



「滅諦」:「苦」の原因を知り、「我執」の心をなく



した平静な悟りの境地が「涅槃」である。



「道諦」:「苦」のもとである「我執」を超えるた



めには「八正道」が必要である。



であり、その「八正道」とは、



「正見」:正しい智慧



「正思惟」:正しい思索



「正語」:真実のことばを語ること



「正業」:正しい行為



「正命」:清らかな生活



「正精進」:正しい努力



「正念」:正しい思いをもちつづけること



「正定」:心の安定をたもつこと



である。



 まわりの人々のおかげにより、まわりの人々に支えられて僧侶「釈智徳」になれたことに感謝している。退職までは、僧侶としての活動は休止しているが、僧侶としての自覚だけは持ち続け、釈尊の教えである「四諦八正道」を心に、精進努力し、「教育」という世界の中で生きていきたいと思っている。         合 



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