今日もいい日だ。

50才から僧侶を目指し、自分探しの旅を続けている凡夫の物語

またまた得度のこと気になる2

2017-05-05 13:04:29 | 仏教学校の学生

JUGEMテーマ:仏教学校の学生



 



 



やっぱり気になるんですよ



9月のことでも



 



http://www2g.biglobe.ne.jp/~ota/nisshi/souryo_yousei.htm



 



上記より抜粋




 



6.「得度考査」のこと



 ここに、「得度考査」の試験問題の一部を紹介する。「得度考査」の内容のレベルは、私が受講していた中央仏教学院専修課程1年次修了程度であった。ご門徒の方でも、詳しい方はよくご存知のような内容であるが、「ふつー」の人間であった私にとっては、初めて学ぶことばかりであった。



筆記試験



(問)「浄土三部経」の経典名を書きなさい。



(答)仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経



(問)「教行信証」の正式名称を書きなさい。



(答)顕浄土真実教行証文類



(問)七高僧を全て書きなさい。



(答)龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、源空上人



(問)仏教の三法印とその意味を書きなさい。



(答)諸行無常、諸方無我、涅槃寂静(意味は略)



(問)知っている和讃を一つ書きなさい。



安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては



釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし



実技試験



(問)正信念仏偈六首引を、行譜で誦みさない。ただし、正信念仏偈は暗誦すること。



(答)帰命無量寿如来・・・



 



 



7.「得度習礼」と「得度受式」のこと



 「得度習礼」とは、僧侶としての基本的な知識と作法を学ぶためのもので、京都西京区にある西山別院に併設されている「得度習礼所」にて、1年に数回行われている。11日間の、完全に外界とは隔離(新聞・テレビ・ラジオ・電話等はなく、手紙のみ許されている)された中で行われる修行である。



 



「得度習礼所」から入所前に送られてきた「入所に当たっての通知」には、「頭髪を3ミリ以下」、「生活環境がかわるので、体調を十分整えて入所されたい」と記されていた。



 



「得度習礼」の基本的なスタンスは、「共同生活の中で、寝食を忘れて教学を学ぶ」ということにあるようであった。



 



朝は、4時半起床、洗面・清掃の後、およそ2時間の「晨朝勤行」(じんちょうごんぎょう)の後、朝食。午前中は3時間ほどの講義とその講義の内容に関する確認試験。昼食を終えて、すぐに実技関係の課題試験の後、午後の講義と確認試験がやはり3時間。



これが終わるとすぐにおよそ1時間の「日没勤行」があり、その後夕食。夕食を終えると実技関係の課題試験があり、その後2時間の「就寝勤行」があった。最後は、班単位で翌日の予習と「習礼」(翌日の勤行の練習)が夜の12時まで続いた。



 これらの指導にあたるのは「特別法務員」の資格を持った「僧魂」のかたまりのような職員で、私たち教育センターの心優しき指導主事とはおよそ正反対の、(ピー)のような方々であった。



 



 たかだか11日とはいえ、さすがにこのスケジュールには心身ともに疲れきってしまった。習礼所は街中にあるため、その隣には小学校があった。毎朝、「晨朝勤行」が終わって居室に戻るとき、2階の廊下から小学校の生徒が「おはようございます!」と言いながら先生に迎えられて元気に登校する姿を見ることができた。無邪気な子ども達の笑顔を見るのが唯一の楽しみだった。



ところで、この習礼中に特に辛かったことは、



・睡眠時間が平均4時間ほどしかない。



・食事(もちろん精進料理)時間が朝昼夕ともに5分しかない。



・疲れすぎて入浴する元気も出ず、風呂に入れない。



・「講義の確認試験」や「実技の課題試験」を確実に一つ一つ合格しないと、休憩時間もない。



・勤行の最中はもちろん、講義の間も「法衣」を着用した上で「正座」をしなければならない。



 




 おかげで、修了直後は、早飯が得意になったし、「正座」も比較的平気になった。休憩時間がない日々を過したことは、今の情報・職業教育課での業務に非常に役に立っている。



 



 ちなみに、特別法務員の中に、「喜太郎」の「シルクロード」が好きな人がいて、毎朝、起床時間になると大きな音で全館に流していた。毎朝その音楽を聞きながら体に鞭打って起床していたので、今でも「喜太郎」の「シルクロード」が大嫌いである。



 



 11日間、耐えられなくなって途中で退所した人もいた。たまたま班長をしていた私は、説得にあたったが、その人は「こんな刑務所みたいなところはいやだ」と言いながら去っていった。怪我をして退所した人もいた。当番にあたった班は、本堂の一番前の内陣に座り、勤行の中心的な役割を果たすのだが、勤行の後の退場も作法の中にあり、足が痛くて立てなくても、静々と退場しなければならない。無理をして「人の足のような自分の足」で立とうとして転倒、骨折をしてしまうのである。



 



こうした場合、病院で治療した後、容赦なく退所が命ぜられる。途中で退所しても、次回はまた初日から参加しなければならない。



 11日間の「習礼」を無事修了すると、その最終日の夜、理容師が来て頭を剃髪してくれる。生まれて初めて「ツルツル」になった頭を習礼生同士で見合い、その時あらためて「僧侶になるんだな」という感慨がこみあげてきたのを覚えている。浄土真宗本願寺派で、剃髪が義務づけられているのは、この時だけである。



 



 翌日は、朝から「大谷本廟」(おおたにほんびょう:親鸞聖人の墓地)や、「本願寺」にお礼参拝した後、国宝「黒書院」の中で「黄袈裟」(きげさ)に着替え、閉門後の本山の「御影堂」(ごえいどう)の闇の中で、古式作法に則り、親鸞聖人から数えて第24世にあたるご門主から直接「度牒」と法名「釈智徳」をいただいた。



 



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