墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

誰でもできることを誰にもできないくらいやりたい…

2008年03月27日 | つぶやき
25日板橋の小学校6年生が卒業式の後飛び降り自殺をしました。
なんとも痛ましいこの事件に、何でこんなことに…
と、悲しく胸が痛い思いになりました。



実は、私はこの一年間選考委員なるものをしていて、役員さんをお願いするため奮闘していました。
いち父兄であるあたしに、何の権利があるんだ??とか…
こんな重い責任をまかされて、いいんだろうか??とか…
学校側の関わり方はこれでいーの??とか…
なんだか、見なくてもいいことも見たし、嫌な思いもしたし、悩んだし、怒った。

委員長って立場になった時に、自分で決めたことがあって。

委員のみんなが、やってよかったと思えるような委員会活動をしたい!
選考した人が、引き受けたことを後悔しないような組織を作りたい!

理想を追いながら、自分だけで抱えたこともいろいろあったし、校長に喧嘩売ったこともあった。
その甲斐あって?何とか決まりました。
かなり苦労して、決めなくてはいけない期限を過ぎて。

最後まで決まらなかったのは会長です。
結局は現会長の続投になったんだけど、なぜ決まらなかったかは、あたしにも原因があるのです。
彼は友達だったから…
一年間の彼の苦難を近くで見てきたから…
会社リストラされるんじゃないか?と思うようながんばりも、不安を感じたから…
そして、何よりこの組織は彼の良さを生かせない場所だと感じたから…

すると、この時期まで決まってない我が小学校のことを心配し、ほかの学校のPTAの方から「なぜ今の会長に頼まないのか?」とか「今の会長さんはとてもいい!」とか、いろんな評価と彼の働き振りを感じる情報が入ってきたんですよ。

そっか…
あたしの心配はあたしの独りよがりの評価だったんだ。
選考委員長として、ずいぶん勝手な選考をし、大事な人を見落としてたんだな…と、反省しました。

彼を焼き鳥屋に呼び出し、話しました。
今までのいろんなこと。
で、もう一年会長を引き受けてほしいと言いました。
たくさん話して、酔っ払って、彼の想いもつらさも問題も聞いたけど、学校ともう一度話をして検討するよと言ってくれました。

そして、先日「俺やるよ!よろしく!ありがとう!」とメールをもらいました。

私は、彼は続投ではなく新たな気持ちで会長になったと認識してます。

それを感じた一つの出来事に、卒業式があります。
アタシは仕事で欠席してしまいましたが、次男が報告してくれました。
次男が言うには「徳川家康が人生は荷物を背負って歩いていくことっていったんだって~でね~僕たちは悲しみのリュックをしょってんの。これから、そのリュックが重たくなっても耐えられる強い心臓の筋肉をつけなさいって。あと、友達のリュックにもっと重たいものを入れるようなことはせず、軽くさせるような人になれって。あと、リュックの中身を覗いちゃダメだって。もっと重くなるから・・・。僕はね、いいこと言うな~って思ったよ。」と話してくれました。

こんな話しを、子供の心に届くように話してくれた彼に感謝し、前述のような痛ましい事件はここではおきないと思いました。

そして、「選ばれる学校にしよう!」と言う気持ち、改めて感じました。
そう、彼を動かしたのは「一年前選ばれる学校にしよう!」と意気揚々と話していた彼の言葉を、あたしが「この一年で実行できたの?」と聞いたからかもしれません。

「俺はこの一年慣れるのに精一杯で、想ったことを何もしてなかった…」
と、ホッピーに酔いながら、言ってたもんね。
(ホッピーは本音を語らせるすげー飲み物のようです。身に覚えある方手を上げて!)

今年は、新入学児は少ないんです。
このままだと、来年数字がもっと落ちかねません。するとどうなるか・・・学校が統合されてしまうかもしれない。今、とても大事な時期なのです。
あたしたちも、選ばれる学校にする努力を、何かできない??
しなきゃ!!

もう今年は委員にはならないけど、あたしにできること、頑張ってやっていこうと決めました。

選考委員長としての最後のお役目は、各委員長からの挨拶ってお題の全校生徒宛のメッセージでした。



役員という形ではなくとも、これからも皆さんの力を貸してください。
「自分のできること」でいいのです。


これでお役目終了。

心から望んでます。


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