会社の片付けをしている。
溜まった月報「墓石クリーニングの女~あきねえ便り」を、つい見返してしまった。
2008年6月から書き始めたこの月報は、ほぼ毎月書き続け82枚にもなっていた。
そのうち、印刷トラブルで印刷し直しをした号がたった2回で、計3000枚の書損分を処分しようと見たら、同じコラムを掲載したものだったことに気がついた。
「あ、この記事はおじいちゃんおばあちゃんの記事だ。」
82回も書いた月報、たまたまこの記事だけが印刷トラブルとは・・・
なんだか、処分しづらくなった。
【墓石クリーニングの女】
「進さん、貴方を残して先に旅立った芳子を許してください。」
進とは、アタシの父で、芳子とはアタシの母だ。
この手紙は、母が亡くなって一週間目に父宛に届いたもので、祖母からのものだった。心にガツンときた。
母方の実家は山形の田舎ではあったが、祖父は地元の名主で、祖母は黙ってひたすら仕える働き者の女だった。
孫のアタシから見ると祖父はとっても偉い人で誰も彼に逆らえず、妻とは子を産み旦那様に仕える存在で、なんとなく理不尽に映った。
そんな2人も年老いて、最期の時を迎えようとしていた。
アタシは亡き母の代わりに看病しようと決意、仕事を辞めしばらく山形で暮らすことにした。
祖母がこの頃、「長生きしたっていいことはないよ…子供を先に亡くすことほど辛いことはない。」と本音をつぶやいた。
あの気丈な手紙をどんな想いで書いたのか、少し理解した。
「おばあちゃん、傍にいながらあなたの娘を助けられなくてごめん…」言葉にできず心の中で詫びた。
祖母は、最後まで祖父の心配をして先には逝けないと言い続け、無理を言って同じ病院の同じ部屋で闘病していた。が、とうとう別れのときが来た。
祖父がアタシに2人のベッドを近づけてくれと言った。
そして、今まで妻に優しい言葉などかけた事のない彼が「トミ、ありがとう。」と、泣いた。
みんな、泣いた。
彼女は報われた。誰かのためにひたすら尽くし生きることの尊さを感じた。
アタシは、この2人の孫で産まれたことを感謝している。
そして、2人の旅立ちの時に立ち会えたことは、母が仕組んだことだったのかも…と思う。
人は死ぬ。でも、残されたものの中でずっと生きている。
彼らのお墓参りにはなかなか行けないけど、アタシは墓石クリーニングの女。
誰かの想いを受け止めながら、これからも洗い続けたい。
(二〇〇九年九月号掲載)
あきねぇ便りを通して・・・
あきねぇ便りは、認知度の低い墓石クリーニングを多くの人に知ってもらうためのツールとして誕生しました。
しかし、この仕事をすればするほど自分の中で発見があり、沢山の想いが心に溢れてきました。
自慢したい施工例だけではなく、お墓を洗いながら感じたこと、出逢った人のこと、起きた出来事のこと、すべてのことを通じ自分の生き方や在りかたを考えさせられ、多くの人にこの想いを伝えたくなったのです。
あきねぇ便りの十六枚目に、この「墓石クリーニングの女」を書きました。
ボロボロ泣きながら書いたこの文章は、自分の中に溜まっていた悲しみであり、探していた答えでもありました。
どんなに回数を重ねても、この号だけはアタシにとって特別なものなのです。
大切な人を失う悲しみと後悔は簡単に癒えるわけもなく、父や母を亡くした日の事はなかなか文章にはできません。
とうとう、母は二十三回忌、父は七回忌を向かえ、先月法事のために秋田に帰省しました。叔父叔母も年老いて皆でお参りする日もこれが最後かもしれません。
失って初めて、誰よりもアタシのことを思っていてくれた存在に気づき、なぜ大切にしなかったのか、感謝しなかったのか後悔しました。きっと、生きている限りその気持ちは消えることはないでしょう。
クリーニングをした後「ありがとう」と涙を流してくださる施主様と自分を重ねながら、少しでもその悲しみが癒えるお手伝いができたのなら嬉しいと思います。
そしてアタシも、少しずつ悲しみが癒されているのでしょう。
溜まった月報「墓石クリーニングの女~あきねえ便り」を、つい見返してしまった。
2008年6月から書き始めたこの月報は、ほぼ毎月書き続け82枚にもなっていた。
そのうち、印刷トラブルで印刷し直しをした号がたった2回で、計3000枚の書損分を処分しようと見たら、同じコラムを掲載したものだったことに気がついた。
「あ、この記事はおじいちゃんおばあちゃんの記事だ。」
82回も書いた月報、たまたまこの記事だけが印刷トラブルとは・・・
なんだか、処分しづらくなった。
【墓石クリーニングの女】
「進さん、貴方を残して先に旅立った芳子を許してください。」
進とは、アタシの父で、芳子とはアタシの母だ。
この手紙は、母が亡くなって一週間目に父宛に届いたもので、祖母からのものだった。心にガツンときた。
母方の実家は山形の田舎ではあったが、祖父は地元の名主で、祖母は黙ってひたすら仕える働き者の女だった。
孫のアタシから見ると祖父はとっても偉い人で誰も彼に逆らえず、妻とは子を産み旦那様に仕える存在で、なんとなく理不尽に映った。
そんな2人も年老いて、最期の時を迎えようとしていた。
アタシは亡き母の代わりに看病しようと決意、仕事を辞めしばらく山形で暮らすことにした。
祖母がこの頃、「長生きしたっていいことはないよ…子供を先に亡くすことほど辛いことはない。」と本音をつぶやいた。
あの気丈な手紙をどんな想いで書いたのか、少し理解した。
「おばあちゃん、傍にいながらあなたの娘を助けられなくてごめん…」言葉にできず心の中で詫びた。
祖母は、最後まで祖父の心配をして先には逝けないと言い続け、無理を言って同じ病院の同じ部屋で闘病していた。が、とうとう別れのときが来た。
祖父がアタシに2人のベッドを近づけてくれと言った。
そして、今まで妻に優しい言葉などかけた事のない彼が「トミ、ありがとう。」と、泣いた。
みんな、泣いた。
彼女は報われた。誰かのためにひたすら尽くし生きることの尊さを感じた。
アタシは、この2人の孫で産まれたことを感謝している。
そして、2人の旅立ちの時に立ち会えたことは、母が仕組んだことだったのかも…と思う。
人は死ぬ。でも、残されたものの中でずっと生きている。
彼らのお墓参りにはなかなか行けないけど、アタシは墓石クリーニングの女。
誰かの想いを受け止めながら、これからも洗い続けたい。
(二〇〇九年九月号掲載)
あきねぇ便りを通して・・・
あきねぇ便りは、認知度の低い墓石クリーニングを多くの人に知ってもらうためのツールとして誕生しました。
しかし、この仕事をすればするほど自分の中で発見があり、沢山の想いが心に溢れてきました。
自慢したい施工例だけではなく、お墓を洗いながら感じたこと、出逢った人のこと、起きた出来事のこと、すべてのことを通じ自分の生き方や在りかたを考えさせられ、多くの人にこの想いを伝えたくなったのです。
あきねぇ便りの十六枚目に、この「墓石クリーニングの女」を書きました。
ボロボロ泣きながら書いたこの文章は、自分の中に溜まっていた悲しみであり、探していた答えでもありました。
どんなに回数を重ねても、この号だけはアタシにとって特別なものなのです。
大切な人を失う悲しみと後悔は簡単に癒えるわけもなく、父や母を亡くした日の事はなかなか文章にはできません。
とうとう、母は二十三回忌、父は七回忌を向かえ、先月法事のために秋田に帰省しました。叔父叔母も年老いて皆でお参りする日もこれが最後かもしれません。
失って初めて、誰よりもアタシのことを思っていてくれた存在に気づき、なぜ大切にしなかったのか、感謝しなかったのか後悔しました。きっと、生きている限りその気持ちは消えることはないでしょう。
クリーニングをした後「ありがとう」と涙を流してくださる施主様と自分を重ねながら、少しでもその悲しみが癒えるお手伝いができたのなら嬉しいと思います。
そしてアタシも、少しずつ悲しみが癒されているのでしょう。
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