とある何でも屋スタッフブログ

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業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

東海道を歩く旅 島田宿~金谷宿 旅の記録編

2009-12-17 | 近況
さて、旅の記録編です。

JR島田駅に降り立った私たち親子は、ここから金谷へと向かうのではなく、まずは島田の旧宿場町を求めて歩きます。
むかーしのガイド本によれば、駅から徒歩十分とある。
とりあえず街道を島田→藤枝方面へと逆流するのだ。
すると、そこに白たい焼きの店が~(^^;食べ物編ではないぞ。
娘が食べたがったので、とりあえず一個ずつ買って、食べながら歩く。
すると、島田7丁目のバス停近くに一里塚発見。
まあ、藤枝と島田の区切り地点ではないけど、ここをスタート地点とする。金谷へ向かってGo!
しばらく歩くと島田帯通りというところに本陣跡があった。



元ジャスコ前には刀匠の碑、ほかにも問屋場跡の碑、松尾芭蕉の歌が刻まれた芭蕉句碑など、わりとたくさんの石碑を見ながら大井川に向かって突き進みます。
夏あたりに「大井川川越遺跡」に来ていたので、スムーズに歩けます(^^)

しかしパルプ工場のにおいにやられてヒットポイントが一気に減少したひ弱な旅人二人は、まず薬局に入ってマスクを購入。
うーむ、いつもの活性炭マスクがないとつらい。忘れてた。

パルプ工場の前を通り過ぎ・・・ようとした所で、しずてつストア島田店を発見。
ちょっとトイレ休憩と、飲み物かお菓子を購入~♪と、体力減っているのに大きな寄り道。
あわてて元のルートに戻ります。
早く大井川を越えておかないと、「よし善」の昼の営業時間に間に合わない~。

さて、大井川川越遺跡です。国指定史跡(昭和41年8月1日指定)なのです。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」
と歌われたように、川留めなんかされてしまうと何日も、ひどいときには何週間も渡れない。
当時の川越し制度と川会所がどんなものだったのかをよく知ることができます。
川札の値段は5段階に分かれていて、一番深い「脇通し」の水位になるとおよそ2820円ぐらいかかりました。
この脇通しの水位を超してしまうと「川留め」となります。
人足達は雲助ではなく、修行を積まねばならないきちんとした職業でした。
・・・などなど。
川越遺跡の途中には「八百屋お七」の思い人であった「吉三」の墓もあります。
お七が処刑されたあと、吉三は、お七の起こした火事は自分に逢いたいがためであったことを人から知らされ、ショックを受けて自害しようとします。
しかし住職に諭されて思いとどまり、自ら出家してお坊さんとなり、島田で亡くなりました。まー、その人の墓がこんな所にあったんですね。

夏に川越遺跡を十分に堪能したので、今回はすべて通り過ぎるだけにしました。(写真は夏に撮ったもの)
古い町並みを再現した遺跡を通り越し、島田博物館も通り越し、大井川橋へ。
大井川橋が近づくにつれ、ある事実につきあたる。

橋、長っっ!

えー、これ渡るのぉ~。もう疲れているのにぃ~(T_T)


しかし、そんなこと言ってられませんのでキリキリ歩いて渡ります。
・・・・怖いです。なんだかいろいろ落としそうです。腰引けてます。
手すりがあるんだから、自分の身は落ちないのになんだか怖いのです。
こんなんでは蓬莱橋渡るときにどうなることやら・・・。
娘も怖がっていて、途中から二人で無言で早歩き。早く渡り終えたい一心です。
なんとか無事に渡り終えました。


さて、今度は「よし善」へ行くのだが・・・場所、わからん(^^;
あってよかったケータイのアプリ「ナビ・ウォーク」。時々助けてもらってますが、今回も助かった。

よし善での食事を終え、重くなったお腹をなだめながら今度はまたしても徒歩で「新金谷駅」を目指す。
プラザ・ロコ・ミュージアムにいくのだ。そこにはSLのいろいろなものが展示されているらしいのである。井川線の古い客車も展示されているらしいのである。
もう、足が痛すぎてびっこ引いている私。しかし行く。

新金谷駅です。この木造の駅舎がたまりません。

ロコミュージアム内


楽しんだ後は、今度はJR金谷駅を目指して歩く。
なんとか金谷石畳までは行きたい。
しかし・・・ここ、どこ?
またまた「ナビ・ウォーク」に助けられ、東海道に戻る(^^;
しばらく歩くと金谷本陣跡である「金谷商工会議所」に到着~♪トイレ借りちゃおっ(^^;
ちゃっかりトイレ休憩した旅人二人は、JR金谷駅を目指す。
石畳は駅の近くなのである。

しばらくすると「旧東海道 石畳」の道しるべがあり、それに沿って歩く。いつの間にかJR金谷駅も通り越し歩くと・・・。


そこは急勾配の坂道。石畳前にこの坂道かい・・・。


で、なんとか石畳へたどり着き、登・・・るのは断念しました。
10年以上前、石畳を登りましたが、とっても足が痛くなったことを鮮明に思い出したのです。既にびっこ引いているような足ではいけません。
すぐ脇にそれて石畳茶屋へと吸い込まれるワタシたち。

そばや甘味を出してくれます。・・・が、さっきの菜めし田楽がまだお腹に詰まっているので食事はせず、お土産をみたり、奥にある資料館を見たりしていました。

見終わったらさっさと石畳を後にします。登りきっても諏訪原城跡が待ち構えているのですが、ちょっとあそこの場所苦手だし(^^;
何にもまして足が痛いっ。
足を引きずりながらもJR金谷駅へと戻ります。



ここで親子の体力は尽きました。今回の旅はここまでにしておきます。でも、次の日は蓬莱橋に行くのです。

東海道 島田─金谷を歩く旅 食べ物編

2009-12-17 | 近況
二連休。
どこでもいいから、東海道の宿場~宿場を歩こうと決めてました。
初めは箱根~三島を予定していたのだが、シュミレートしてみるとかなりハードである。
そして今は同行者の娘の体調はあまり良くはない。
なのであっさり変更。

島田~金谷にしました(^-^)
これには目的がありました。
10年ぐらい前から行きたいと思っていた郷土料理店は、ワタシの休日である木曜日と重なるため、木曜日以外の休日と宿場間歩きが一緒になる機会を待っていたのだ。

このお店のご主人と奥さんは仲のよい素敵な二人です。

「よし善」というお店で、東海道の旅をする人では知らない人はいないのではないかとおもいます。
http://www3.tokai.or.jp/yoshizen/
ここで食べられるお料理は『菜めし田楽』。
金谷にあるこのお店なのですが、このメニューは間の宿(あいのしゅく)である菊川で当時出していた軽食です。

間の宿は旅人の便宜を図って設置されました。宿場間の距離が長かったり、宿場間が難所だったりすると間の宿がおかれたのです。ただし、本格的な宿場町とちがって制約がありました。

間の宿は宿泊厳禁で、大井川の川留めがあっても金谷宿の許可がなければ宿泊はできません。
そして旅人に出す料理も尾頭付きなどの本格的な食事は出せませんでした。
そこで考えられたのが、軽食としての菜飯田楽。
これならば旅人達は満足出来たはずです。

で、この完全なるベジタリアンフードを見事な味付けでよみがえらせたのが、よし善のご主人というわけです。

味付けや作り方や素材、かなりこだわっているのではないでしょうか。菜飯に至っては3杯ぐらいおかわりしそうなほど美味しくて、

「あぁ~・・・ご飯が減っていくぅぅ(TдT) 」

と名残惜しくてたまりませんでした。
でもその思いと裏腹に満腹になっていくので、実際おかわりは無理ですが・・・。

そして田楽。これは味噌だれと辛子のバランスがまた良くて美味しさにまかせて「ひょいひょいっ」と食べられそうなイメージなのですが食べてみるとなかなかのボリュームなのです。
煮物もゴマ豆腐も絶妙。お吸い物も柚子の香りがきいていて美味!
甘味も季節によって変えているのでしょうね。しゃれてます。

・・・と紹介してきたのは女性向けの小町セットですが、これでかなりお腹いっぱいになります。
でも菜飯がホントにウマ過ぎるので、菜飯大盛の標準のがいいかもしれません。
標準のセットは田楽5本です。値段は一緒。
行くことがあったら、大いに悩んでください。
落ち着ける雰囲気の店内↓


そして奥さまもただ者ではないです。
一度は滅んだ郷土人形の「金谷土人形」を復活させた人形職人さん。
普通にお店に出てますが(^_^;
佐野先生のブログにも書かれてましたね。
ホームページを見ると、かわいい土人形達がいっぱいです。
ワタシは茶娘の土鈴を持ってます。
←これです。・・・かわいー♪
そのうち「お福」ちゃんを買おうと、駿府楽市をうろうろしてます。
買うのにはなかなかタイミングがあるのです(^_^; 

あ、ちなみに佐野センセーのブログでの「よし善」紹介はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/chirosano/e/b0d87c8f30db4982b5b153b8dbcd865f
同じく佐野センセーの「金谷土人形」の紹介記事はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/chirosano/e/d716ec7a2ca34d70368c223f1f33c936