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Retro-gaming and so on

小林亜星

小林亜星と言う人は職業「作曲家」として紹介される。
しかし、僕の世代以降だとあんまそういう印象がなくって、俳優を含めた「タレント」って印象の方が大きいんじゃないか。
実際、別にソロアルバムを作ってたわけじゃなく、本当に職業作曲家、だったらしいが、1960年代辺りまでが活動期としてデカいだろうし、CM音楽作曲とか、言わば「裏方」の仕事が多いんで、余計「作曲家です」って印象が薄れる。
例えば日立のイメージソングとして有名な「日立の樹」は小林亜星の手になるものだし、昔懐かしいお菓子で今年3月に販売が終了した、明治チェルシーのCMソングも小林亜星作曲だ。


多分、言われればそうか、とは思うんだよな。
ただ、基本的にタレント業が忙しくなった事もあって、1970年代以降は作曲家の仕事の本数自体は少なくなってたんじゃないか、とは思う。
ただし、それ以上に、小林亜星は職業作曲家なんだ。つまり、性質的には前に書いた渡辺岳夫氏に近いと思う。つまりメロディに小林亜星らしいと感じるモノが基本的には存在しないんだ。
この辺が、ニュー・ミュージック以降に出てきた人たちと決定的に違う。個性を殺す、と言うのが往年の職業作曲家の特徴で、結果、どんな曲になるか、ってのはクライアント次第だ、って事なんだ。なおかついいメロディ、つまり口ずさみやすいメロディを作らなアカン。しかし、それが小林亜星らしいラインか、と問われれば恐らく違う、って事になるし、そもそも小林亜星らしいライン、ってのは存在しない。上のチェルシーのCM曲でさえ「これが小林亜星独特のメロディなの?」って問われれば違う、んだ。

例えば原田知世が唄った「時をかける少女」。


これは松任谷由美作曲だが、「松任谷由美が作曲した」って聞けば「ああ、それっぽい」って思うだろう。メロディラインはどう聴いても「松任谷由美」臭い。
言い換えると、松任谷由美じゃないとこういう曲は書きづらいし、それが彼女の個性なわけだ。
一方、先程にも書いたが「チェルシー」のCMソングのどこが小林亜星臭いのか、って問われても答えづらい。むしろ「無臭」って言って良いだろう。

1980年代以降は特に、松任谷由美的な「ニュー・ミュージック」のミュージシャンが台頭してきて、それまでの職業作曲家のシマに入ってきたんだよな。そこから「追い出されて」成功した例に、ドラクエの作曲家だったすぎやまこういちがいる。すぎやまこういちも小林亜星や渡辺岳夫型の「無個性な」職業作曲家だった。しかし、かつてのフィールドが「ニュー・ミュージック」世代に食い荒らされて、実際困ってたらしい。そんな中で「ゲーム音楽」と関わりを持ってそっちの世界で大成するんだから、人生は分からんもんだ(笑)。
一方、繰り返すが、小林亜星自身はタレント業もやってたし、そっちの比率もそこそこ高かったんで、そこまで問題にならなかったんだろう。

しかし、職業作曲家、と言うのはとかく器用じゃないといけないらしい。小林亜星って人も当然メチャクチャ器用だと思われる。
小林亜星もアニソンを書いている。例えば懐かしの「超電磁ロボ コン・バトラーV」なんかも小林亜星による作品だ。


さぁ、どうだろうか。どう考えてもチェルシー臭くない(笑)。それどころか、渡辺宙明作曲、って言われても困らないデキになってる(笑)。っつーかそっくりだ(笑)。
いや、僕自身、この曲はじめて聴いた時、マジンガーZとかグレートマジンガーの曲の流れだと思ってたんだ。後に作曲家の名前を色々と知る事になり、あ〜、宙明センセ、ってのが僕の好きなカンジの曲を書く人なんだな、って知ったわけだが、その時、

「じゃあ、コン・バトラーVも宙明センセイの作曲だろ」

とか無邪気に思ってて、調べてみたら小林亜星だったんでひっくり返ってた(笑)。

「あんたの耳が悪いから違いが分からんのじゃないの?」

と言われるかもしんない。そうかもしんないが、僕の耳だと、これはクライアントの要求が、例えばマジンガー的な音を、的なカンジで、小林亜星が渡辺宙明作品を何作品かピックアップして聴いて分析して作ったんじゃないか、って思ってるんだ。最近のロボットアニメの主題歌の流行りってこうなってんのか〜、みてぇな(笑)。
そもそも「分析出来ない」人がこういう職業作曲家になれるたぁ思わないんだよな。それで「こんなカンジ」をコピーしちゃって作り上げたんじゃなかろうか。
僕の耳ではそういう予想なんだ。

小林亜星は他にも僕が大好きな、ついでに言うと永井豪原作の「ドロロンえん魔くん」の主題歌も作っている。


これも全く「チェルシー」とか「コン・バトラーV」のカラーと違うだろう。小林亜星作品、とか言ってもそのカラーを定義出来ないんじゃないか。
恐らく、だけど、意識したのは「ゲゲゲの鬼太郎」を書いた「いずみたく」の存在くらいで、それも「アッチがああ来るならコッチはこう行ってやる」程度なんじゃないか、って思う。両者共、演歌的、っつーか東洋音階を採用しつつ真逆のアプローチ(鬼太郎は暗めだけどえん魔くんはポップ路線)を行う、的な?それくらいだけど、そもそも小林亜星自身がどーの、と言うよか、えん魔くん自体のアプローチが明らかに鬼太郎を意識しつつ違ったモノを、だったんで、クライアントの要求も当然そうなる、たぁ思うんだよね。
余談だけど、えん魔くんの声は野沢雅子だ・・・結果鬼太郎の中の人と同じだったわけだが(笑)、えん魔くんを演ったのが1973年(鬼太郎は当然それより早い)。それ以降、少年役声優として第一線でずーっと活躍してるんで恐ろしい(笑)。個人的には声優界の黒柳徹子って呼んでいる(笑)。一体何歳なんだかサッパリ不明だ(笑)。

さて、最後にこれで〆ようと思う。
最近このブログでは魔法少女モノを取り上げる事が多いんだけど、そもそも魔法少女モノ自体が小林亜星の音楽を小脇に抱えて誕生している。
横山光輝原作の「魔法使いサリー」がそれだ。


オリジナル版は中近東っぽいサウンドになっていて、それこそ「キューティーハニー」や「魔女っ子メグちゃん」を唄った前川陽子がヴォーカルを取っている。
当然悪くない。どころかアニソン史上に残る傑作だろう。
でも僕としては1989年のリメイク版のこのヴァージョンが好きなんだよね。なかなか「カヴァーがオリジナルに勝つ」ってこたぁ無いんだけど、これはその稀有な例だと思う。80年代の、しかも洋楽的なアプローチにしてなおかつ「オシャレ」に仕上げてる。なかなかこうは出来ないよな、と言うお手本のようなアレンジだ。
当然こういうアプローチが活きるのは、小林亜星が書いたメロディが素晴らしいので、どうにでも調理出来る、って事があるから、だが、やっぱり「小林亜星の特徴」ってのは「メロディが良い」以外何もねぇよな、と(笑)。一番大事な部分が良いんでいいんだけど(笑)、全く「クセ」が見つからないんで、そういう意味では評論しようがない作曲家なんだ。
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