見出し画像

Retro-gaming and so on

ピンボールファンタジーズDX

SonyのPlayStation用に1996年、日本テレビ系列のvapからリリースされたピンボールゲーム。
しかし、これもオリジナルではなく、実はSFCでリリースされた「ピンボール ピンボール」の続編だ。より正確に言うと、Commodore Amigaでリリースされた「Pinball Dreams」の続編であり、ヒット作の「Pinball Fantasies」の移植作だ。
前作Pinball Dreamsと同様、原作は、スウェーデンのメーカー、Digital Illusionsが下請けとして制作、21st Century Entartaimentが販売、と言うカタチを取っていたが、日本未発売のSNES版、ゲームボーイ版、Atari Jaguar版等の移植作をイギリスのスパイダーソフトが担当した。その流れで、このプレイステーション版の制作自体はイギリスのスパイダーソフトが行っている。

プレステ版「ピンボールファンタジーズDX」は前作にあたる「ピンボール ピンボール」同様4つのピンボール台が含まれていて、また、これも前作と同様に、「ビデオゲームならではの」演出は存在しない、マジメでリアルなピンボールを目指している。





台はPartyLand、Speed Devils、Billion Dollar、Stones Bonesの4つ。
また、画像を見たら分かる通り、縦に長い(テレビ画面3段分くらい?)。従って、前作と同様に、ピンボール台は上下にスクロールして忙しない。
そしてカラーも、プレステの割に地味じゃない?ってのもその通りで、これも実際のトコ、オリジナルのAmigaの色数の最上限値と一致していて32色程度しか使われていなく(※1)、プレステの能力も持ち腐れだ。 







結局、プレステの能力が活きているのは、OPデモだけ、って辺りで、まぁ、そういうゲームは当時は結構あっただろう(笑)。OPデモだけやたら3Dなんだけど・・・と言うアレだ。



まぁ、このゲームのピンボール自体は世界的に人気があったのは間違いない。だからこそ日本での評価はちと微妙にならざるを得ないんだが・・・・・・。
ちなみに、僕も過去、Amiga実機でプレイしてはいたが、ヘタクソなんで、このゲームの真の評価はやっぱり下せないのでR(謎

※1: 後期Amigaのチップセットだと256色同時出力が可能だったが、ところが、Amigaで最大に売れてたのは前世代機のAmiga 500(上限色16〜32色)であり、当然両方に向けてゲームをリリースする前提だと後世代機のスペックは無視されてしまう、と言う現象が起きていた。
従って、後期Amigaの能力をフルに活かしたAmiga用のゲーム、はほぼ存在しない。PC-9801のグラフィックがPC-8801のグラフィックに足を引っ張られていた、と言うような状況をAmigaも味わってたのだ。
なお当時、Commodoreはホント、やる気あんのか?と言うようなワケの分からん事ばっかしてて、1990年のMC68030搭載機であるAmiga 3000発表の時点で256色出力が可能なチップは既に開発終了してたらしいが、採用を見送り、また、DTVを推し進めていたサードパーティのVideo Toasterと言う拡張ボードを搭載出来ない、ような筐体デザイン採用。この辺でCommodoreはコンセプト的に、Amigaの陰りを自ら作り出し始めていたのだ。
仮に、この時点で256色同時発色可能なチップセットを搭載させていたら、Apple MacやIBM-PCに対してアドバンテージを保てていただろうが、この前後でオリジナルのAmiga開発者達を解雇したりして、Commodoreは一体何をやりたかったのか良く分からなくなってた。この辺では「ユーザーの存在率なぞ誤差の範囲である」Appleの方がまだ経営を頑張ろう、と思ってただけマシだったのである。
なお、Commodoreを離れたオリジナルのAmiga開発者達は、ATARIのLynxと言うゲーム機を開発したあと、Electronic Artsの設立者、トリップ・ホーキンスの下で3DOと言うハードウェアの設計を行う。
結果、Commodoreは後手後手になり、1994年に倒産するのである。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「プレイステーション」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事