瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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#134

2013-07-28 15:10:28 | 考える日々
なにかを得れば、なにかを失う。あるいは捨てる。捨てるのは意図的だけど、失うのは結果としてそうなってしまうといったところか。こぼれ落ちるといったほうが、より感じがでるかも。
だれでも経験することで、わかりきったことではあるが具体的に言い直してみるか。人生なんぞというものを持ち出すのも大袈裟で照れくさいので、卑近なことを例にとる。

とある店でたまたま目にとまった物が気に入って衝動買いしてしまった、という話なら誰にもあるだろう。なにを買ったことにしても構わないけれど、ま、置物くらいにしておきますか。で、買って帰ったはいいが、さていざ置く段になると、置こうにも置く場所がない。スペースはあるにはあるが、そこに置いてもなんだか場違いな感じ。
こんなときは姑息な手段を使ってごまかしても落ち着かないだけ。根本的なところから始めるに限る。というわけで、部屋の模様替えをすることにする。置物ひとつ買っただけで、こんなはめになろうとは。とブツくさ云いながらも、やり始めると面白くなってしまい、ついつい大移動。一仕事終え、買ってきた置物は気持ちよく、落ち着くべきところに落ち着いた。だか気がつけば、そこには、あらたに行き場の失った物が……。

笑いごとではない。いや、やはりこれは笑いごとなのか。ともかく、得たり失ったりとは万事こんな感じではある。なにかを得て、そのことで環境が変わってしまえば、いままで自然にそこに在ったものが不自然な存在へと変わる。捨てる気はなかったのだけれど、結果的にそれは居場所を失い、新しい環境からこぼれ落ちていく。それは物であったり人であったり概念であったり習慣であったり、実にあらゆることに及ぶ。つまり人生である。はたして生きるというこの現象は悲劇なのか、あるいは喜劇なのか。

人生を持ち出すのは大袈裟だと書いておいて結局人生でまとめてしまった。歳をとると人生について語りたくなるものなのである。ついでにもっと大袈裟なことを言えば、歴史も実はこうなのである。なにかを得て、なにかを失う。あるいはなにかを捨てることで環境が変わり、次のものを生む土壌となる。あるいは一つ捨てただけのつもりが、捨てるつもりのない十も二十ものことまで捨てざるおえなくなり劇的な変化へつながる。なにがどう関連しているかなんてわからないから、さまざまな様相を呈する。だからバリエーションはいろいろある。そのように歴史はプラスとマイナスが複雑に絡み合い、変化をつづけているわけである。

「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの絵があるけど、本当にわれわれはどこへ向かっているんだろうね。得たり失ったり、捨てたり生まれたり。その変化の先になにがあるのかしら。
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