瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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#135

2013-07-29 01:37:21 | 考える日々
歴史の本を読むのが好きといったところで、もちろん関心の持ち方は人それぞれ。私の場合、過去が知りたくて歴史関連を読むわけではない。いや、過去に興味があるのは間違いないけれど、それ以上に知りたいのは未来のこと。過去のことを知ることで未来のことを知ることができるのか。ま、無理でしょうね。それで未来がわかれば、なんとも他愛無い。だけど未来を知ることはできなくとも、それを考えるヒントにはなるだろう。歴史は鏡であるとは、そのような意味も含んでいるように思う。未来をも映すのだ。

とどのつまり、われわれはどこへ行くのか。これを考えるために歴史の本を読んでいるわけである。前回も書いたように、やはりわれわれがどこに向かっているのかが気に掛かる。自分の死んだあとの数百年、数千年なんてどうでもいいようなものだけど、なんでだか気になるのだからどうしようもない。

歴史の本を読んでいると、どこかへ向かっているような気はする。いろいろと変化は見られるからね。だけど、その変化は表面的なことなんじゃないかしら、とも思ったりする。本質はなにも変わっていない。だとすれば、われわれはどこにも向かっていないことになる。同じところに留まったまま。目先が変わって、どこかに向かって進んでいるような気になっているだけ。
さて、われわれはどこかへ辿り着けるのか、あるいはどこへも行けないのか。というより、案外どこへも行く気がなかったりして。

本質が変化しているのなら、どこかへ向かっているのだろう。どこへ向かっているのかは、勉強不足の私にはわからないけど。
なにも変化していないのなら、どこへ行くのかという問いがナンセンス。だけど、こうも考えられる。変化するためには千年、二千年なんてスパンじゃ短すぎる。ま、シュメール文明から数えれば更に数千年加算されるけど。ともかく変化するにはまだまだ機が熟していない。あとどのくらいかかるか分からないけれど、そのときが来れば劇的に変わる。数千年なんの変化もなかったんだから、変わるなら徐々にではなく劇的に変わるような気がする。ひょっとしてそれは数年後かもしれない。それだとちょっとおもしろ過ぎるか。やはりあと数百年、数千年は掛かるのかしら。

どうなんだろうね。どこかへ向かっているのか、いないのか。文明発明後だけでなく先史時代さらには人類誕生と、タイムスケールを大きくとれば、やはり本質的な変化は見られるから、どこかへ向かっているとは思うんだけど。ただ最近の千年、二千年くらいは変わっているような気がしない。私の理解が浅薄だけかもしれないが。
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