近親憎悪ってぇ言葉がありますね。自分と似た人ってぇのは嫌ものなんでしょう。憎悪するくらいですから似てるのは自分の嫌いな部分ってぇことですね。
もちろん似てるから好意をもつ場合もありますが。自分自身、評価している部分が似てるってぇことでしょうな。
評価している、好ましい部分ってぇのは自分でも意識できてるもんです。人には自尊心ってぇのがありますからね。
逆に駄目な、嫌いな部分ってぇのは自分でも認めたくないものですから、無いことにしちゃってる。で、無意識に沈めてしまう。無いことにしても無くなるわけではありません。意識できない無意識に沈むだけ。
無意識に沈んだものは大人しく沈んだままではいません。吹き出して来ます。どこへ? 自分の目の前、向き合ってる相手にです。だから近親憎悪なんです。
目の前にいる憎い相手とは自分のことなんですね。自分が封じ込めた自分で認めたくない自分。そんな自分は存在しない、ということにしてますが、無意識には存在してます。無意識に存在してるから目の前の相手がそのようで在るなら反応してしまう、憎悪してしまう。
憎悪だけではありませんね。あらゆる反応がそう。喜んだり、怒ったり。
意識している、していないにかかわらず、自分の内に在るものだから反応するんです。自分の内に無いものには無関心です。ってぇか、自分の内に無いものは目の前に現れません。関係をもつのはつながりが有るからです。
目の前の相手、もっと広くいえば状況も含めて、すべてこれ、自分なんですよ。
憎悪したり、怒ったりして相手を、他者を否定する。しかし、実は否定している対象は相手じゃない。他者じゃない。自分の内に封印している否定されるべき自分を否定しているんです。
封じ込め、無意識に沈めてるんだから、そんな自分がいるなんて思いもしない。つまり、自分で意識出来てる自分は一部分ってぇことです。自分でも本当の自分を知らない。
けれど、目の前の相手、状況が教えてくれる、気づかせてくれる。自分とはそのような存在である、ト。
気づけば意識化されます。在ったけど無かったことにされていたものが顕現します。補完され、変容し、本当の自分へと近づきます。
自分と出会うと世界も変容します。自分が変容し新しくなったのです、世界だって変容し新しくなります。自分の内が外に反映されているんですから。
相手を、状況を否定しても何も変わりません。改善しようと働きかけても、やはり変わりません。外は内なる自分を反映しているだけですから。
変えるべきは自分です。自分と出会うのです。封じ込めた自分に気付けば、自分はようやく自分になれます。
私たちはまだ本当の自分を知らない。
知れば、自分はもちろん、世界も変容します。
そういうふうにできてます。
もちろん似てるから好意をもつ場合もありますが。自分自身、評価している部分が似てるってぇことでしょうな。
評価している、好ましい部分ってぇのは自分でも意識できてるもんです。人には自尊心ってぇのがありますからね。
逆に駄目な、嫌いな部分ってぇのは自分でも認めたくないものですから、無いことにしちゃってる。で、無意識に沈めてしまう。無いことにしても無くなるわけではありません。意識できない無意識に沈むだけ。
無意識に沈んだものは大人しく沈んだままではいません。吹き出して来ます。どこへ? 自分の目の前、向き合ってる相手にです。だから近親憎悪なんです。
目の前にいる憎い相手とは自分のことなんですね。自分が封じ込めた自分で認めたくない自分。そんな自分は存在しない、ということにしてますが、無意識には存在してます。無意識に存在してるから目の前の相手がそのようで在るなら反応してしまう、憎悪してしまう。
憎悪だけではありませんね。あらゆる反応がそう。喜んだり、怒ったり。
意識している、していないにかかわらず、自分の内に在るものだから反応するんです。自分の内に無いものには無関心です。ってぇか、自分の内に無いものは目の前に現れません。関係をもつのはつながりが有るからです。
目の前の相手、もっと広くいえば状況も含めて、すべてこれ、自分なんですよ。
憎悪したり、怒ったりして相手を、他者を否定する。しかし、実は否定している対象は相手じゃない。他者じゃない。自分の内に封印している否定されるべき自分を否定しているんです。
封じ込め、無意識に沈めてるんだから、そんな自分がいるなんて思いもしない。つまり、自分で意識出来てる自分は一部分ってぇことです。自分でも本当の自分を知らない。
けれど、目の前の相手、状況が教えてくれる、気づかせてくれる。自分とはそのような存在である、ト。
気づけば意識化されます。在ったけど無かったことにされていたものが顕現します。補完され、変容し、本当の自分へと近づきます。
自分と出会うと世界も変容します。自分が変容し新しくなったのです、世界だって変容し新しくなります。自分の内が外に反映されているんですから。
相手を、状況を否定しても何も変わりません。改善しようと働きかけても、やはり変わりません。外は内なる自分を反映しているだけですから。
変えるべきは自分です。自分と出会うのです。封じ込めた自分に気付けば、自分はようやく自分になれます。
私たちはまだ本当の自分を知らない。
知れば、自分はもちろん、世界も変容します。
そういうふうにできてます。