瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#93

2013-05-19 14:59:05 | 考える日々
私という存在は変換装置である。

と、ひとことで済ませてしまうと楽なんだけど、これで伝わるとも思えないから、やっぱり少しは書き足しますか。
いや、書かないほうがかえっていいかもしれないような気もするね。どんなふうにでもとれる余白ある表現だと読み手が勝手に解釈してくれるから。その解釈のほうが、あたしの説明よりおもしろいんじゃないかしら。
だからみなさんの解釈におまかせします。と、いったら叱られるかな。

ともかく今回はここまで。って言えれば、どんなに楽かとも思うけれど、その勇気がない。あたし、気が小さいのよ。やっぱ補足説明しますか。
いや別にたいしたこっちゃないのよ。冒頭の一文は色即是空をあたし流の表現に書き換えただけ。色即是空をあたしはこう解釈しましたってことよ。

あたしが「これが世界である」として捉えている存在は、あくまであたしがそのように捉えているだけなのよね。なんらかの存在をあたしが変換して、その変換したものをあたしは「これが世界である」と考えてるに過ぎない。なんらかの存在が何であるのかはわからないんだけど。
自分がなにを変換しているのか知らないまま、変換したその後の存在だけを実在と思い込んでいる。でもその変換後の存在なんて所詮自分がそのように変換しただけよ。ってなことを、色即是空、空即是色は言ってるんだろうなト。

それにしても、なんで変換なんて面倒くさいことをするんだろうね。実相そのままを受け入れれば話は簡単なのに。変換なんぞするから話がややこしくなる。変換しておきながら、その元の姿がわかっていないから、イデアがなんたらとか考えなきゃならん。いったい何やってんだか。空なら空でいいのに、なんで色にしちゃうのさ。

ま、そんなこといっても仕方がないけどね。そういうふうに出来ているんだから。
じゃ、なんでそういうふうに出来ているんだろう。と考えたときに、確信はないけど、たぶん肉体のせいなんだろうな、とは思うのよ。肉体自身が何かを変換した存在なんだろうなト。変換後の肉体という存在を使って世界を捉えるとなると、世界を自分に引き寄せる、つまり変換後の存在である肉体と同等の存在に変換しなきゃならんト。

世界を捉えるのは肉体ではなく精神ではないのか。それはそのとおりなんだけど、精神は肉体の制約を受けているから肉体で捉えるといっていいんじゃないかしら。肉体という物理的な箍(たが)が外れれば、また違った捉え方も可能だろうと思うのね。
こんな書き方をしてると肉体が世界を歪めてる根源であると、あたしが考えてるように思うかもしれないけれど、そういうわけでもないのよね。肉体も使い方次第って気がする。肉体の使い方をあたしたちはまだ知らないんじゃないかしら。それを知れば肉体はいまと違った世界の捉え方ができるんじゃないかって気がするのね。
じゃ、どう使えばいいのって話になるけど、あたしも知らない。そんな気がするだけだから具体的な話は何も思いつかないのよ。

こんなに長くなる予定じゃなかったんだけどなあ。しかも、いつものごとく尻切れとんぼだし。わけわかんなくなって放り出す。
予定では、変換ってことで、あたしたちは様々なことを変換してるよねって話に流れるはずだったんだけど、書くのも疲れてきたので、もう止(よ)します。次回ってことでもありません。書く気も失せましたんで。自然を変換したのが文明だなあってぐらいの話です。


おことわり
前回のつづきを書くこと忘れてるわけじゃないのよ。今日は上記の根多を扱いたい気分だったの。で、予定を変更してお届けしました。
という具合に気分次第なので確約は出来ないけれど、#92のつづきは次回の予定ってことで。
でも予定は予告なく変更しますので、あしからずご了承のほどを。
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