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年賀状の当せん番号を確認しながら考えたこと

2020年01月31日 | その日その日
今年の年賀状の当せん番号確認をしました。1枚だけ3等(切手)が当たっていました。毎年恒例のこの作業がだいぶ遅くなりました。それだけ暇になったのか、関心が薄れてきたのかと感慨を深くしました。

唐突ですが、人生、子供の頃の一人遊びから始まって、地域での遊び、学校での学びと遊び、そして社会へと活動範囲が広がっていきます。そして、定年後は逆順に、しかも急速にまた一人遊びに戻っていくのではないかと感じています。

したがって、隠居の身になったら年賀状は親族など特定の集団を除いて要らない状況に戻っているのではないでしょうか。
「終活」の流行で、新聞などマスコミでも年賀状の停止が扱われるようになりました。実際、少し前から辞退はがきを受け取ることも珍しくなくなっています。以前は、「いつの間にか来なくなった」がお別れのサインだったように思います。予めお知らせするのが新しいマナーになってきた感じもします。

くじが付いているから年賀状を出すわけでもなく、当たっても切手くらい。切手なら買い込んだ記念切手が一生分以上もあるし(笑)。郵政省には代々、応分のご奉仕はしたように思います。
あとは止める時期の問題です。いつやめようかな。もう文案考えておいた方がいいのかな。
と思う1月の終わりでした。


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