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我孫子ぶらりぶらりまち歩き 2

2021年11月25日 | ぼくのとうかつヒストリア
今年1月に楚人冠公園など(千葉県我孫子市)を訪れました。今回は志賀直哉邸跡と子の神5号墳を訪ねてみました。


志賀直哉邸跡

白樺派の代表的作家、志賀直哉(1883-1971)は、ここに大正4年(1915年)から大正12年(1923年)まで暮らし、『暗夜行路』、『城の崎にて』、『小僧の神様』などを書いたほか、我孫子が舞台となっている『流行感冒』、『雪の遠足』などの作品を残しました。


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志賀直哉邸跡の入り口の様子です。ハケの道(崖の下の道で湧き水が多い)に沿い裏手に崖を背負う立地です。
『雪の遠足』では、大正9年の雪の日、ここから布施弁天まで歩いた模様を描いています。昔の人はよく歩いたものです。


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敷地が公園風に整備されています。往時の母屋はありませんが、コンクリートを打って間取りを表示してあるので、作家が暮らした生活空間を偲ぶことができます。


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志賀は購入後、母屋裏手の崖の近くまで張り出して書斎を増築しました。現在は池になっていますが、かつては横井戸がありました。湿気に悩まされたのではないでしょうか。

志賀は崖の上の土地も入手し、そこに二間の書斎兼客間の離れを作りました。子どもが生まれ手狭になると、母屋の東側にも書斎を建てました。


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その茶室風書斎が現存しています。古さとモダンが調和し、簡素な中に遊び心が感じられます。志賀の転居後に近所に移築、使用されていたものを再移築、復元したものです。痛みも目立ちますが、最近の修復された様子もあって、大切に保存されていることが窺えました。(土、日曜日の晴れた日のみ公開)


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書斎内部は、狭さを感じさせない開放的なしつらえに見えます。ここから沼を眺め、気が向けばぶらりと散策に出たのかも知れません。友人、知人を訪ねたり、また、迎えたりするのにも都合のよいロケーションだったのでしょう。




子の神古墳5号墳・瀧井孝作仮寓跡

子の神(ねのかみ)古墳群については、『我孫子まち歩きマップ』で初めて知りました。
6世紀頃に造られたものだそうで、1号から14号まであります(消滅を含む)。高台でハケの湧き水がある場所は、古代も近代も人を招き寄せたのでしょう。
『無限抱擁』等の作品で知られる瀧井孝作(1894-1984)が一時この近くに住んだそうです。瀧井は志賀を慕って我孫子にやって来ていました。ここは志賀邸とは僅かな距離です。


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現在、古墳は町名から「寿古墳公園」として整備されています。古墳公園入口(瀧井孝作仮寓跡)は、緑が濃く、かつての風景を思わせます。


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子の神5号墳は小さいながらもきれいな円墳。台地の先端は墳墓築造に好適地だったのでしょうか。
古墳は残りましたが、瀧井が仮住まいした家は跡形もありません。


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寿古墳公園から手賀沼を遠望したところ。志賀直哉、滝井孝作が住んだ頃は一面の田んぼでした。対岸は柏市沼南(千葉県)。

Nikon Z 6 / NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
撮影日 2021年11月下旬



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