師匠が亡くなった。
お教室を7月末に閉め、新天地へ移住なさった矢先、病に倒られた。
11年通ったお教室の庭から株わけしてもらったホトトギスが花を咲かせたので、写真を撮って報告したのが、つい1ヶ月前。
その時に、実は術後間もない病床からで、点滴や酸素の管が色々付いていると、お返事をくださった。
先生からのメール文はビックリマークや顔文字で元気さをアピールされていたけれど、病状があまり良くないのは想像できた。
こういう職業であるから、必要とされれば、いつでも「いざ鎌倉」の心づもりでいるとお伝えしていた。
中秋の名月の時にご連絡さしあげたときには、今月中に退院して、自宅療養したいとおっしゃっていた。
移住先のご自宅は、昨年から色々とご自分好みに内装をしつらえるのが、とても楽しそうだった。
昨日、自分用の帯を仕立てたので、そのことをご報告したら、ご自分ではもう返信ができない状態であるからと、今朝、ご家族からお返事をいただいたところであった。
いくらなんでも、早すぎますよ、先生。
旅行がてら、素敵な新居に遊びにいかせてもらおうという計画をしていたのに、もうかなわない。
5月に、雅叙園でお教室のお別れパーティーをした際に、今度は先生の移住先にある老舗高級ホテルで同窓会をしましょうという話が出ていたけれど、それも主役不在となってしまっては···
お別れパーティーの時、教室恒例のキモノショーのBGMに、チェロを弾かせてもらった。
先生がランウェイをお歩きになるときに、「愛の讃歌」を弾けばよかった、と後悔している。
最後にお会いしたとき、そのことを先生に言ったら、じゃあ、次回はそうしてちょうだいとおっしゃってくださいましたよね?
先生、次回っていつですか?
ありがとうございます。
私達のことを先生はいつも「うちの生徒さん」と呼んでくださっていましたよね。
私も、先生の生き方そのものから様々な学びや勇気をいただきました。
最期にきちんとお別れが言えなかったのはとても残念で、寂しい限りではありますが、元気なお姿が心に残っているので、先生に教えていただいたことを大切に、これからをすごしていこうと思っています。
花邑のスピリッツを受け継いで都内でお教室を開いた方がいらっしゃいますので、よろしければご紹介いたします。
花邑の帯教室に、9年前に2年程通っていました。その頃こちらのブログに出会い、以降拝読しております。
今回、こちらで先生のご逝去を知り、コメントしてしまいました。
当時、急にお教室に通う事ができなくなり、今でも手元に仕立て途中の帯があります。その帯をみる度に、またお教室に通いたいな、先生にもお会いしたいな、と思いながらも行動に移せずにきてしまいました。先生の旅立ちを知り、驚きと寂しさ?と言葉に表す事の難しい気持ちでおります。私の中では、明るくて人生に前向きな先生でした。先生から帯の作り方以外に学んだ事もありました。私は、先生とは短いお付き合いでしたが、本当に素敵な先生でしたよね。
突然のコメント、長文、失礼致しました。
これからもブログの更新を楽しみにしております。