自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「自転車屋の生き物歳時記」!!「シオカラトンボ」!!

2018-08-17 15:22:16 | 地域
「8月17日(金)」

「自転車屋の生き物歳時記」

「シオカラトンボ」

先日の淡路島キャンプで
シオカラトンボを見ました。

昔はうちの近所でも
よく飛んでいたのですが
あまり見かけなくなりましたね。

シオカラトンボ
(塩辛蜻蛉、Orthetrum albistylum speciosum)は、
湿地帯や田などに生息する
中型のトンボである。

日本全土のほか、
ロシア(極東)、中国、
韓国、台湾などに分布する。

平地の湿地やため池にごく普通な種で、
市街地などにも広く見られるため、
日本では最もよく親しまれている
トンボの一つである。

体長50~55mm、
後翅の長さは43mm前後の中型のトンボ。

雌雄で大きさはあまり変わらないが、
老熟したものでは
雄と雌とで体色が著しく異なっている。

雄は老熟するにつれて体全体が黒色となり、
胸部から腹部前方が
灰白色の粉で覆われるようになって
ツートンカラーの色彩となる。

この粉を塩に見立てたのが名前の由来である。

塩辛との関係はない。

雌や未成熟の雄では
黄色に小さな黒い斑紋が散在するので、
ムギワラトンボ(麦藁蜻蛉)とも呼ばれる。

稀に雌でも粉に覆われて
"シオカラ型"になるものもあるが、
複眼は緑色で、複眼の青い雄と区別できる。

幼虫は一般にヤゴとも呼ばれ、
終齢幼虫の体長は20~25mm程度、
腹部背面には他のトンボ科のヤゴに
しばしば見られる背棘
(はいきょく:各節中央にある棘)が全くない。

概形は一見
オニヤンマの小型のヤゴにも似るが、
腮(あご)の合わせ目のギザギザが小さく、

手で掴んでもオニヤンマのヤゴのように
腹部末端を反り上げて
刺そうとするような行動もしない。

主として平地から低山地帯までの
標高の低い場所に生息し、
どちらかと言えば開けた環境を好む。

自然の池沼や流れの緩い小河川のほか、
水田や公園の池など人工の水域にも住むため、
市街地でもよく見られる。

他のトンボ同様、成虫・幼虫とも肉食で、
小型の昆虫をよく喰う。

幼虫は10齢以上を経て羽化するものと推定され、
1年に2世代を営むと考えられている。

幼虫で越冬し、
羽化は春から初秋まで連続的に見られ、
水面から出た植物の茎、杭、
護岸の壁面などで行われる。

本州では
4月中旬頃から成虫が現れて
10月頃まで見られるが、
暖かい沖縄では2月末頃から成虫が出現する。

成熟した雄は縄張りを占有し、
草上などに静止して警戒する。

交尾は草や地面の上で行われ、
その後は雄の警護下で雌が単独で産卵する。

この雄の警護は、
交尾相手の雌が産卵を終えるまでの間に
他の雄と交尾するのを防止する
適応的意義が大きいと考えられている。

シオカラトンボの雄は
多くのトンボと同様に交尾時に前に
その雌と交尾した雄の精子が
産卵時に受精に与るのを
防ぐ操作を行うことが知られているが、

カワトンボ類で知られているように
貯精嚢内の精子の掻き出しを行うのではなく、 
奥に押し込むことで出口から遠ざける。

産卵は水面の上にホバリングしながら、
腹部末端で水面をノックするようにして行われる。

この行動は、
平らで光を反射する面に対する
反応として行われるため、

たまには車のボンネットや、
あるいは和室に飛び込んできて
畳の面でこれを行うのを見ることがある。



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「清水寺」建立」!!「坂上田村麻呂」!!

2018-08-17 15:18:30 | 釣り
「8月17日(金)」

「清水寺」建立」

「798年8月17日(延暦17年7月2日」

坂上田村麻呂が清水寺を建立。

宝亀11年(780年)
鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ
坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、
修行中の賢心に出会った。

田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、
薬になる鹿の生き血を求めて
この山に来たのであるが、

延鎮より殺生の罪を説かれ、
観音に帰依して観音像を祀るために
自邸を本堂として寄進したという。

後に征夷大将軍となり、
東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、
自身が建立した清水寺に平定参拝をしたという。

その後、
若武者と老僧
(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、
無事に都に帰ることができた。

延暦17年(798年)、
田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して
本堂を大規模に改築し、

観音像の脇侍として
地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、
ともに祀った、という。

以上の縁起により、
清水寺では
行叡を元祖、
延鎮を開山、
田村麻呂を本願と位置づけている。



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