自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「清涼殿落雷事件」!!「菅原道真の祟り」!!

2019-07-24 13:27:13 | 地域
「7月24日(水)」

「清涼殿落雷事件」

「930年7月24日」
(延長8年6月26日)

清涼殿に落雷して公卿2人が即死し、
菅原道真の怨霊との噂が流れる。

この年、
平安京周辺は干害に見舞われており、
6月26日に雨乞の実施の是非について
醍醐天皇がいる清涼殿において
太政官の会議が開かれることとなった。

ところが、
午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて
平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、
それから凡そ1時間半後に
清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。

この時、
周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、
公卿では大納言民部卿の藤原清貫が
衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、
右中弁内蔵頭の平希世も
顔を焼かれて瀕死状態となった。

清貫は陽明門から、
希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、
希世も程なく死亡した。

落雷は隣の紫宸殿にも走り、
右兵衛佐美努忠包が髪を焼かれて死亡。

紀蔭連は腹を焼かれてもだえ苦しみ、
安曇宗仁は膝を焼かれて立てなくなった。

更に警備の近衛も2名死亡した。

清涼殿にいて難を逃れた公卿たちは、
負傷者の救護もさることながら、
本来宮中から厳重に排除されなければならない
死穢に直面し、遺体の搬出のため大混乱となった。

穢れから最も隔離されねばならない
醍醐天皇は清涼殿から常寧殿に避難したが、
惨状を目の当たりにして体調を崩し、
3ヶ月後に崩御することとなる。

天皇の居所に落雷し、
そこで多くの死穢を発生させたということも
衝撃的であったが、
死亡した藤原清貫が
かつて大宰府に左遷された
菅原道真の動向監視を
藤原時平に命じられていたこともあり、
清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まった。

また、
道真の怨霊が雷神となり雷を操った、
道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした、
などの伝説が流布する契機にもなった。

この落雷事件から
藤原道真公は
雷神を操る天の神だ!
天神だと畏れられるようになったんですね!
その後は
学問の神として尊敬される事になるんですね!



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