11月中には、早々と「年賀欠礼」の葉書も出していたんだし、喪中のわが家には、年賀状が来ないと思っていました。。。
でも、何枚かの年賀状は届きました。
マナーの解説によると、喪中のおうちに年賀状を出しても失礼には当たらないってことでしたが・・・。
当事者にしてみると、やっぱり違和感はありますねぇ~~!
松がとれて、「寒中お見舞い」としてさりげなく近況を知らせてもらった方が、しっくり心に響いてくるような気がします。
祖母や父のとき、姑のときとはまた違った思いが、今回の母親の場合にはあります。。。
もう親と呼べる人がいなくなったと言うのが、かなり大きなウェイトを占めているのかもしれません。。。
こういう思いは、他人には推し量るべくもないのですが、今度、自分が「喪中欠礼」の葉書をもらったら、時期をずらしてさりげなく「寒中お見舞い」の葉書を出そうと思ったのでした。。。
去年は25日過ぎてから喪中欠礼の届いた所があって、当然? 賀状は行き違いで出してしまいました。
当然、年賀状を止めて寒中見舞いを出す心づもりしてたのですが、その年の12月にTELが掛かり、「2月に亡くなってずいぶん日が経つし、大往生だったし、年賀状が1枚も来ないのは寂しいので、年賀状を頂戴ね」と言ってきました。
ええ~??と思ったけど、そう言うならと出しましたが、これは例外でしょうね・・・
喪中って、係累のどこまでを言うのでしょう?
一親等は当然ですが、兄弟の場合でも欠礼になるのでしょうか?気持の度合いでしょうね。
13回忌過ぎた姑が亡くなった時、義姉夫婦も当然喪中だと思ってましたが、姉の夫である義兄から我家に年賀状来て、ビックリしました。
義兄自身は喪中と思ってないのかもしれないけど、うちの夫には実母なので、喪中だと分かってる筈なのに、見識を疑いました。
やっぱり、親と呼べる最後の人というのが、大きいんでしょうかねぇ~!
年賀状をくれた人の中には、「うっかり投函してしまってごめん!」というメールが来ました。
これって、その人の感情のことで、答えがないので難しいですね。
ちょっとしたことで、母を思い出します。
やっぱり、親を亡くして「みなし子ハッチ」になったのが大きいかも・・・ね。
いろいろと気遣ってくれている夫には、ホント悪いんですが・・・。
宛名までパソコンで印刷されていて、ひと言のコメントもない以下同文の年賀状は、やっぱり思いやりのひとかけらもないように感じました。
これって、私のひがみ根性でしょうか???
ただ、その方とkettyさんの常日頃の交流の度合いもあるんでしょうね。
そういう風に、言ってこられるというのは・・・。
ゆっき~さんのところにも書きましたが、宛名までパソコンで印字された、添え書きもない以下同文の年賀状は、むなしい感じがしました。
ときに、年賀欠礼の葉書をもらって、「えぇ~、ここまでする???」というぐらい遠い血縁のときがあります。。。
でも、きっと交流の深さも関係しているのでしょうね。
私たちも、従姉妹とは姉妹同様のつきあいですから・・・。