第1章 ロスアラモスの生活
第2章 トリニティ実験
第3章 リトルボーイを送り届ける
第4章 広島
第5章 東京と長崎
第6章 放射線とその言説の管理
第7章 ビキニとエニウェトク
第8章 医師ノーランとテクニックの葛藤
第9章 一九八三
「原爆投下、米国人医師は何を見たか」書評 繰り返された「警告・包摂・共謀」|好書好日
ウィリアムズ大のジェームズ・L・ノーランJr.教授(本書の著者ね)のところに、父のジェームズ・L・ノーランの死後、母から書類箱が送られてくる。
祖父のジェームズ・F・ノーラン医師(1915~1983。婦人科腫瘍学の権威だった)が若い頃に参画したマンハッタン計画関係の書類一式だ。
マンハッタン計画に大尉として参加した(ロスアラモス研究所の診療所の医師兼、放射線管理担当)産婦人科医のジェームズ・F・ノーラン(1915~1983)は、放射線防護の認識の不十分(皆無?)な責任者のグローブス将軍に警告しに行くが、爆弾完成の目標しか頭になくて放射線防護などまっっったく頭にない将軍から追い払われてしまう。
「なんだおまえ、ハースト気取りのプロパガンダ野郎かなんかか?」というのがその反応(「新聞王」ハーストは大衆的新聞の発行人ね)。
秘密保持と情報保全のことしか頭にない。
トリニティ実験の際に住民を避難させる案などは、秘密が漏れてしまうので、全く発想にない。
放射能汚染の可能性を指摘した医者など、とんでもない野郎だ、という感じ。
なので、実際に犠牲者が出る。
トリニティ実験の爆心地から80キロ地点でサマーキャンプをしていた人たちの上に白い灰が降下してきて、何も知らされていなかった12人の少女たちは、その灰を手で受けたり、顔にこすりつけたりする。
彼女らのうち30歳を超えて生きたのは2人のみで、他の10人及び引率者らはがんで死亡。
もう無茶苦茶じゃん。
なお、ノーラン医師本人はトリニティ実験には立ち会っていない。
同僚とともに2名がリトルボーイ爆弾のウラニウムをテニアン島に運ぶ担当に指名され、(陸軍の砲兵将校に偽装して、重巡の乗員らが中身について何も聞いていない謎のコンテナとともにUSSインディアナポリスに乗り込んだ~徽章をさかさまにつけてしまうが気付かず)ハワイ経由でマリアナに急行していたという。
7/14ロスアラモス発、7/16(トリニティ実験当日朝)サンフランシスコ出港。7/26テニアン島到着。(→イ号はその後悲劇に)
放射性落下物だのなんだのと煩い医者を実験から遠ざけるためにウラニウム運搬役に指名した?疑惑を感じるのだが、その旨の指摘は見当たらなかった(よね)。
1945: TRINITY AND TINIAN
語る本書著者ノーラン教授
The Doctor Who Secretly Delivered the Atomic Bomb
テニアン島で荷物ともに上陸したノーラン医師は、米本土から来た人員とともに調査団の一員として9/5に厚木入り。
広島、長崎の現地調査へ。
ジェームズ・L・ノーランjr著『原爆投下、米国人医師は何を見たか』(藤沢町子訳、原書房、2022・7) - VERDiの日記
Atomic Doctors
Conscience and Complicity at the Dawn of the Nuclear Age
【翻訳】『Atomic Doctors: Conscience and Complicity at the Dawn of the Nuclear Age』の紹介文 – 市民科学研究室
Review: ‘Atomic Doctors’ Provides Context to Doctors’ Conflicts in Manhattan Project
第6章 放射線とその言説の管理
臨界事故(みんな大好きデーモン・コア )についても記載あり
デーモン・コア - Wikipedia
オメガサイト事故で放射線を浴びた後に膨れ上がったハリー・ダリアン - Wikipediaの両手の写真掲載あり(p213)
ルイス・スローティン - Wikipedia
Dr. Louis Slotin and "The Invisible Killer" - Canada's History
あと、聞いたことはあったが、改めて説明されてため息が出たのが
第6章 放射線とその言説の管理
に出てきた「プルトニウム注射」ね。
アメリカ合衆国における人体実験 - Wikipedia←この記載はごく一部
日本の被爆者から十分にデータを収集していたくせに、死亡確実な重病患者に無断でプルトニウムを注射して。。。というのは、ナチスドイツや日本の731部隊となんら変わらないんではないの?
プルトニウムファイル~いま明かされる放射能人体実験の全貌~ - E.I.S | 組込みシステム技術者向け オンライン・マガジン
米国における人体実験と政策
ノーラン医師は心臓発作(動脈硬化性心血管疾患)で67歳で死去した。
孫の著者は、放射線被曝の影響もなくもなかっただろうとの評価。
たばこと飲酒の習慣があったうえ、病院の仕事でも放射線の被曝があったし、あまり、「マンハッタン計画参加のせいで早死にしたぁ!」とは言っていない模様。
心臓にも影響あるのね。
これとは別に、南面堂がかねてから思ってきたのだが、マンハッタン計画に参画した物理学者の死因を見ると、がんと心臓発作ばかりのような印象なのよね。
(一覧表を作るエネルギーはない。既存の物ないかね?)
当時の模様の動画など見ると、何の防護もせずに放射性物質を扱っていたように見えるの。
被曝量の管理などもいい加減だった疑惑。本書には被曝量上限の設定値など言及あるが、厳密に守っていた様子でもない。
戦後の核実験でも、一部フィルムバッジをつけさせていたりもしたが、行き渡らない数だったようだし。
サンドストーン作戦ではきのこ雲の中を飛行させた無人機のフィルターを回収した兵士ら3人が手にベータ線熱傷を負い、皮膚移植が必要になる(医師らは、論文のネタが出来たと喜ぶ)。
放射線熱傷とは 種類により体の損傷度合いに差 - 日本経済新聞
トップ(グローブス将軍)が原爆完成という目標達成にシャカリキになっていて、放射線管理に無関心だったことも影響大だったろうし、個々の学者・技術者らも、長期でどういう影響が生じるのか、当時はだれも知らなかったわけだし。
関係者のほとんどが、「うんと強力な爆弾」という認識しかなかったといっても過言ではなかったのでは?
なお、ロスアラモス研究所には若い世代が多く働いていたので(平均年齢25歳)、赤ちゃんも多数生まれた。
ので、産婦人科医のノーラン医師はたくさんの赤ちゃんを取り上げた由。
ノーラン夫妻の第2子(著者の叔母さんにあたるわけか)、オッペンハイマー夫妻の第2子など多数。
オッペンハイマーの赤ちゃんには面会(てか見物=ひとめ見ておこうと!)希望者が長蛇の列をなしたため、医師たちは面会時間の枠を撤廃して、赤ん坊のベッドに「オッペンハイマー」と手書きの札を下げた、と。
いちいち、「どの子?」「あの子です」と説明させられるのを避けた措置w
Toni Oppenheimer - Nuclear Museum←あらま、お気の毒なことに
蛇足(デーモンコア実験は、「そんな竜のしっぽをくすぐるような危ない実験は止せ」だったが、こちらは蛇の足(実は脚))
邦訳書の重箱の隅というか、言葉尻というか:
●p165に同じ表現が並んでいるのはこれ如何に? ①②は便宜上つけた
①「ノーランを含む合同調査委員会の医師は、東京滞在中に東京帝国大学の病理学教室を何度か訪ね、都築政男教授が用意してくれた標本の、「顕微鏡切片」を調べた。医師たちはこの標本の多くをさらなる研究のためだと言って最後にはアメリカへもたした。そうした反対の言説とは、日本における現在進行形の放射線による恐ろしい影響やそのほかの障害にもっと目を向け、原爆の使用について重要な倫理的問いを発するものだった。」
②「ノーランを含む合同調査委員会の医師は、東京滞在中に東京帝国大学の病理学教室を何度か訪ね、都築政男教授が用意してくれた標本の、「顕微鏡切片」を調べた。医師たちはこの標本の多くをさらなる研究のためだと言って最後にはアメリカに持ち帰ってしまい、一部の日本人医師を困惑させた。合同調査委員会の医師は、病理学教室を訪れた際、生体標本を調べるにとどまらず、「ゲイシャガールを連れて駆逐艦に逃げ込んだ」ことも一度あった(これも土産話となる観光行為のひとつだ)。」
もしかして、当初翻訳原稿が①だったところ、校正時に②にしましょうとの書き込みがなされたが、なぜか両方並んで印刷まで進んでしまったの?(またはその逆?)
不 思 議
●p171 「日本の―東京と横浜におけるー火炎爆弾による死者の数のほうが、広島と長崎に投下されたふたつの原子爆弾による死者の数より多い。火炎爆弾を用いた前者の場合・・・」
~原文未確認だが、fire bombには火炎爆弾という訳もあるものの、当時米軍が使用したM69 incendiary - Wikipediaは、日本では普通「焼夷弾」と呼ばれてきたので、これは標準訳で行くべきだろうね。
●p227 (臨界事故の現場にいて生き残った兵士で、追跡調査に参加しなかったもうひとりは)クリアリ―で、当時朝鮮戦争に出兵していたことが理由だった。クリアリ―は、出兵先での戦闘中に27歳で死亡する。
~うーん、標準的日本語では、出兵とは為政者が部隊を派遣しようと決断することであり、この場合はトルーマンの行為になるね。
その結果、戦地に行かされる兵士は、出征するんだが。
「出征」と「出兵」の違い・意味と使い方・由来や例文
校正した関係者ら全員が知りませんでしたという?
●p279 (サンドストーン作戦)原子力の問題は、民間人の管理下に置くことが決まり、1947年1月にアメリカ原子力委員会が新設された。こうしたわけで、サンドストーン作戦は、民間人が主導し(第七統合任務部隊)、軍部は補佐役にまわった。」
民間人とはこれ如何に?
原文未確認だが、もしかしてcivilianを文民だとか文官ではなくて「民間人」にしてしまった?(そういう訳もありと辞書に出ていたことは、適切性を保証しない)
政府関係機関に雇われている人ではなくて民間の人である民間人が核実験を仕切った(そんな国あるのか?)という奇妙な日本語になってしまうことへの違和感を誰も持ちませんでした、と?
英語「civilian」の意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
サンドストーン作戦 - Wikipedia
民間人(みんかんじん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
みんかん‐じん【民間人】 の解説
世間一般の人々。また、公の機関に属さない人。あるいは、戦闘員・軍人でない人々。
⇒【民間人】には「戦闘員・軍人でない人々」の意味があるので、そちらのつもりで使ったのだ、わるいか!
というのかもしれないが、悪いよ=公の機関に属さない人という意味が先にくるのでね。
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クロスロード作戦 - Wikipediaの終了を祝うパーティで、きのこ雲型ケーキに入刀する司令官夫妻の写真が象徴的なこと!
(和文にはケーキの写真がないのは怪しからぬ)
Operation Crossroads - Wikipedia
日本の海保測量船・巡視船乗員が被ばくし死者も出た(が、政治的に微妙なタイミングゆえにもみ消された!)1958年の核実験なども~ハードタック作戦 - Wikipedia
1946年の一連の核実験で標的艦の「除染作業」を(降下物で汚染されていた可能性が高い)海水で行う米水兵の写真(強運の元独巡洋艦)があったが、NHKスペシャルでは、1958年段階でも海保測量船乗員らが同じことをさせられていた動画が紹介される。