われ牢前切腹を賜る 玉蟲左太夫とその時代
第1章 歴史の中の玉蟲左太夫
第2章 玉蟲家の家譜と伝統―文の時代(一)・一八二三~一八四六
第3章 安政四年の蝦夷地・樺太巡検団への参加―文の時代(二)・一八四六~一八五九
第4章 万延元年・遣米使節団従者として―文の時代(三)・一八六〇
第5章 探索者・玉蟲左太夫の活動―幕間の時代・一八六一~一八六五
第6章 戊辰戦争・仙台藩・玉蟲左太夫―武の時代・一八六六~一八六九
第7章 明治維新後の東北像と玉蟲左太夫
終章 戊辰残照―玉蟲左太夫の生死が語るもの
われ牢前切腹を賜る 玉蟲左太夫とその時代
朝日新聞の書評 【著者に会いたい】の読後感|Fujio Chiba
佐々木譲さんの『左太夫伝』と同月に出ていた研究書!
左太夫伝 佐々木 譲 2024/08 - 真似屋南面堂はね~述而不作
こっち(後藤先生)はなかなかサラリと一気には読めなくて、タフだったんよ。
やっぱ、あれだな、
第4章 万延元年・遣米使節団従者として―文の時代(三)・一八六〇
の中の、(七)『航海日録』巻八秘書がすごい。
巻一~巻七が公開・報告用の日録であるのに対して、公式版には書けないが玉蟲家に残しておこうという本音バージョン。
正使の従者という賎役ゆえに、粗略な扱いに甘んじざるを得なかったが、「この機会に色々見て勉強し、良いものは日本に取り入れるべきだ」というその志は、単に家柄ゆえに選ばれただけの首脳陣らをはるかにしのぐ高いものだったことがわかる。
まあ、ありがちともいえようかね。
「海外視察」という名の物見遊山旅行を、150有余年たってもやっている組織はねぇがぁあ?
第1章 歴史の中の玉蟲左太夫
第2章 玉蟲家の家譜と伝統―文の時代(一)・一八二三~一八四六
第3章 安政四年の蝦夷地・樺太巡検団への参加―文の時代(二)・一八四六~一八五九
第4章 万延元年・遣米使節団従者として―文の時代(三)・一八六〇
第5章 探索者・玉蟲左太夫の活動―幕間の時代・一八六一~一八六五
第6章 戊辰戦争・仙台藩・玉蟲左太夫―武の時代・一八六六~一八六九
第7章 明治維新後の東北像と玉蟲左太夫
終章 戊辰残照―玉蟲左太夫の生死が語るもの
われ牢前切腹を賜る 玉蟲左太夫とその時代
朝日新聞の書評 【著者に会いたい】の読後感|Fujio Chiba
佐々木譲さんの『左太夫伝』と同月に出ていた研究書!
左太夫伝 佐々木 譲 2024/08 - 真似屋南面堂はね~述而不作
こっち(後藤先生)はなかなかサラリと一気には読めなくて、タフだったんよ。
やっぱ、あれだな、
第4章 万延元年・遣米使節団従者として―文の時代(三)・一八六〇
の中の、(七)『航海日録』巻八秘書がすごい。
巻一~巻七が公開・報告用の日録であるのに対して、公式版には書けないが玉蟲家に残しておこうという本音バージョン。
正使の従者という賎役ゆえに、粗略な扱いに甘んじざるを得なかったが、「この機会に色々見て勉強し、良いものは日本に取り入れるべきだ」というその志は、単に家柄ゆえに選ばれただけの首脳陣らをはるかにしのぐ高いものだったことがわかる。
まあ、ありがちともいえようかね。
「海外視察」という名の物見遊山旅行を、150有余年たってもやっている組織はねぇがぁあ?