真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

文春新書 昭和の名将と愚将 半藤一利 保阪正康 2008年02月

2022-09-16 | 読書-歴史

文春新書『昭和の名将と愚将』半藤一利 保阪正康 | 新書

恩賜の軍刀を与えられた秀才組に名将はいなかった 責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望……昭和の代表的軍人22人を俎上に載せて、敗軍の将たちの人物にあえて評...

文藝春秋BOOKS

 


名将篇
栗林忠道
石原莞爾と永田鉄山
米内光政と山口多聞
山下奉文と武藤章
伊藤整一と小沢治三郎
宮崎繁三郎と小野寺信
今村均と山本五十六)

愚将篇
服部卓四郎と辻政信
牟田口廉也と瀬島龍三
石川信吾と岡敬純
特攻隊の責任者―大西瀧治郎・冨永恭次・菅原道大)

名将部分が「オール読物」連載で、愚将部分が語り下ろしの由。
服部卓四郎と辻政信に、牟田口廉也と瀬島龍三だからね。
忌憚のないご指摘の数々・・・。

既読なのだが、ブログ記載が見当たらないし、ま、いいかと。
何度でも言うけど、半藤氏、保阪氏とも、該当者本人にインタビューしたことがあったりするのだから、もう凄いわ(語彙力)。
登場する各将帥と係わりのあった人々にも直接話を聞いているし。

小野寺信少将は、夫人に、自分がストックホルム駐在武官など海外勤務ばかりに派遣された事情を語っていなかった。
半藤氏から、皇道派ゆえに(統制派の天下となった)中枢から遠ざけられたという説明を聞いて初めて理解したと、謝意を表明したのだと。
なのでまあ、夫人の献身的な協力も得て、いくら歴史的に価値が高い超重要な電報を東京に送っても、参謀本部の中枢は、初めから見る気もなかったとわかる。「飛ばす」ことが目的の海外派遣だったわけで。

「バルトの真珠」で学んだインテリジェンスの極意:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(2)

情報大国の英国から「枢軸国側諜報網の機関長」と警戒された小野寺信(まこと)少将(最終階級)。彼が小国の情報士官から機密情報を得ることができたのは、誠実な人柄だけ...

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