真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

少年皇族の見た戦争 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯 久邇邦昭 2015/07

2025-02-09 | 読書-歴史

少年皇族の見た戦争 | 久邇邦昭著 | 書籍 | PHP研究所

皇族として生まれて海軍兵学校に学び、戦後、一企業人を経て、伊勢神宮宮司を務めた著者が、皇族、戦争、日本のことを綴る珠玉の書。

PHP研究所 / PHP INTERFACE

 


「皇族として生まれて海軍兵学校に学び、戦後、一企業人を経て、伊勢神宮宮司を務めた著者が、皇族、戦争、日本のことを綴る」だそうだけど、「語る」だと思う(べつに構わないけど)

第1章 久邇宮家に生まれて―幼少時代(久邇宮の祖、(中川宮)朝彦親王のこと
幕末の動乱と、孝明天皇の突然の崩御 ほか)
第2章 戦争と皇族―私の海軍生活(皇族の男子は軍人にならねばならなかった;戦争反対に努力された皇族たち ほか)
第3章 戦い終って―靖国神社と皇籍離脱(旧制高校から新制学習院大学へ;反感を持たれたショック ほか)
第4章 私の会社員生活―海外駐在の思い出(海運会社に進む;算盤を弾いて給料をもらう楽しさ ほか)
第5章 伊勢の神宮―大宮司として触れた神道の心(青天の霹靂に驚いたが;大祭で祝詞をあげて ほか)

少年皇族の見た戦争―宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯

皇族として海軍兵学校に学び、ビジネスマンとして戦後を生き、そして伊勢の神宮大宮司を務めて―激動の日々、そして思いの丈を語り尽くした珠玉の書。

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久邇邦昭 - Wikipedia

「少年皇族」は、激動の戦後をどう生き抜いたか~皇籍離脱で民間人となった、ある男の半生(週刊現代) @gendai_biz
インタビュー「書いたのは私です」久邇邦昭
というけど、ホントかね。

《有名な「あっ、そう」よりも…》義甥(95)が昭和100年を前に振り返る「昭和天皇の何とも云えない雰囲気」 | 文春オンライン

来年2025年は、昭和100年にあたる。戦争から復興、経済成長と激動の昭和期を体現する人物が昭和天皇だ。旧皇族で義甥にあたる久邇邦昭氏(95)が、その思い出を自ら綴った。...

文春オンライン

 


写真がたくさん残っていてすごい。
なお、P129に
昭和20年、海軍兵学校生徒も防空壕掘りに動員されたが、6月28日の落盤事故で76期(著者は77期)の「井原幹夫生徒が埋没重傷、呉海軍病院で殉死した。」との記述。
ここで殉死警察出動!
著者が「殉死」殉死 - Wikipediaの意味を知らない筈はなく、不適切な用語選択だ。
殉職でもない(本来の職業に従事中ではない~命じられた臨時の作業中の事故死)。
文章化の担当者が知らなかったためと睨む(著者や編集担当もスルー)。

お役目は順調に次代に継承

伊勢神宮大宮司に久邇氏 旧皇族出身の元商社マン - 日本経済新聞

伊勢神宮(三重県伊勢市)は5日、大宮司の小松揮世久氏(72)の後任に、三菱商事などに勤務した久邇朝尊氏(62)が同日付で就任したと発表した。神宮職員のとりまとめ役とし...

日本経済新聞

 


久邇邦昭・正子ご夫妻が仰光寮をご訪問になられました

ほほぉ
久邇香水(くにこうすい) | 久邇コーポレーション・ルリ

サンデー毎日:旧皇族に継承順はなかった「有識者会議」の牽強付会 社会学的皇室ウォッチング!/104 成城大教授・森暢平 | 週刊エコノミスト Online

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