第1章 離島に病ができた(海に浮かぶ島へ;島に病院ができたら ほか)
第2章 病院で島が変わる(島の医療を守りたい;校長室が待合室 ほか)
第3章 離島医療の現実(平成の大合併;離島だからこそ ほか)
第4章 まともな医療とは(厳しい老老介護;病院の目的 ほか)
第5章 網地島のこれから(一〇〇〇本の桜;木を準備した男 ほか)
宮城県石巻市(旧牡鹿町)・網地島(あじしま)―人口500人あまりの東北の離島に、病院ができた。崩壊する地域医療に差し込む一筋の光、網小医院(旧網長小の校舎利用なので、あみしょう医院と命名!)
学校 - 無し(中学校跡は現在「島の楽校」として利用)就学児童・生徒はスクールボートで通学
網長中学校 - 2000年3月閉校[9]
網長小学校 - 1997年休校、1999年閉校
網小医院 - 1999年に栃木県の医療法人が廃校となった網長小学校の旧校舎を利用して開所した。診療項目は内科・外科・泌尿内科などでCTスキャンやレントゲン、手術室も設備されており、田代島からも多くの患者が訪れる。2003年には文部科学省の廃校リニューアル50選にも選ばれている。
網地島の紹介 - 石巻市
人口 (国勢調査人口)網地島全体図
令和2年10月1日時点 247人
人口 (住民基本台帳人口)網地白浜
令和4年3月末日時点 292人
私立網地島研究所
やすだクリニック 仙台市青葉区 内科,小児科,胃腸科
医師の紹介 | やすだクリニック 仙台市青葉区 内科,小児科,胃腸科
東北大学法学部卒、三菱商事株式会社をへて、山形大学医学部卒
ネパール王国(現在は連邦民主共和国)タンセンにあるネパール合同ミッションタンセン病院にて、G.P.として3年間の医療奉仕。
帰国後、宮城県牡鹿半島の先端にある網地島で、廃校になった小学校を改築してできた網小医院で、開院より10年間院長として勤務。
現在は、毎週水曜日に仙台のクリニックを休診にして,日帰りで網地島への外来支援を継続中。
朝日新聞デジタル:網地島の健康見守る - 宮城 - 地域
島で医療活動を続ける 安田敏明医師 2015年11月10日
サラメシでそんな感じの人が出たのは観た記憶あるわ!
サラメシ🍱「安田敏明先生:医療への情熱と家族の絆」🍱 - つぶれない販売店SPクーポン
(14)離れていても繋(つな)がれる!安田家 ▽ペットフード開発 - サラメシ
安田敏明(医師)は熊本地震ネパール地震の復興に尽力網地島での医療も嫁と子供は?【サラメシ】
離島病院奮戦記 - リハ医の独白
p177
アンナレーナ・トネリ
Annalena Tonelli - Wikipedia
The Lancet Annalena Tonelli
UNHCR mourns death of Dr. Annalena Tonelli
正誤表があって、4か所記載あり。
うち、びっくりなのはp199の表1と表2のグラフが逆でした、というもの。
網地島の1994/3~1999/3までの人口減少トレンド(△43.3人/年、853人→636人)を伸ばすと、2012年には人口が百人を切る勢いだったところ、1999/9の網小医院の開院により、2000/3~2005/3実績は△15.3人/年(630人→553人)、というのが逆に!
まあそこから直近までに約半分になっておるわけだが。
図書館の除籍廃棄本。
1冊しかなかったものを廃棄した模様。