1979年02月26日に放送された番組の再放送。
いや、この番組しらなかったわ。
「戒厳指令”交信ヲ傍受セヨ”-二・二六事件秘録-」 (1979年(昭和54年)2月26日)
何がすごいって、当時まだ関係者が存命で、録音を本人や遺族に聞かせて、その様子を撮るのね。
反乱軍の下士官で、上官から電話で説得されている様子の音声を、元下士官本人に聞かせるとか。
「お前たちは逆賊となったのだから、これから殺すことになるのだぞ。
決起将校のいうことなんか聞かずに、お前たち下士官がしっかりしろ。
上官だからといって、そんな連中の言うことを聞くべきではない。
陛下の軍隊なのだから、陛下の命令が出たのを聞けないのはおかしいだろ。
上官なんか撃ち殺してこちらに帰ってこい!」(大意)
みたいな感じで必死の説得に努めた上官本人は、その後ニューギニアで戦死。
反乱軍側で説得されていた下士官は退役し(軍籍剥奪され)て、戦後は故郷で不動産業で成功する。
上官の妻にその録音を聞かせる。
死刑になった決起将校の夫人に、夫が事件当時に電話で話した様子を聞かせるとか。
背広を着た軍人日米開戦を後押しした鈴木貞一、「背広を着た軍人」が語った“必敗の経緯”(大地主の息子で中央のエリート街道ばく進)に当時の様子を聞きに行くなども。
山下奉文 - Wikipedia
山下宅で電話を受けた義妹(妻の妹)が登場
鈴木貞一 - Wikipedia
NHKの取材を受けた当時の鈴木は卒寿(90歳)を迎えていたがダンディな服装で現れ、記憶力や会話も極めて明晰で、中田を驚かせた。
馬奈木敬信 - Wikipedia
駐日ドイツ大使館のスタッフだった外交官(後に駐日西独大使)にも西独までインタビューに行く。
焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか(大前 治) @gendai_biz
戒厳司令部だった九段会館(旧軍人会館)の部屋に難波を立たせて、自分が電話の盗聴を命じたと証言させる。
いや、この番組しらなかったわ。
「戒厳指令”交信ヲ傍受セヨ”-二・二六事件秘録-」 (1979年(昭和54年)2月26日)
何がすごいって、当時まだ関係者が存命で、録音を本人や遺族に聞かせて、その様子を撮るのね。
反乱軍の下士官で、上官から電話で説得されている様子の音声を、元下士官本人に聞かせるとか。
「お前たちは逆賊となったのだから、これから殺すことになるのだぞ。
決起将校のいうことなんか聞かずに、お前たち下士官がしっかりしろ。
上官だからといって、そんな連中の言うことを聞くべきではない。
陛下の軍隊なのだから、陛下の命令が出たのを聞けないのはおかしいだろ。
上官なんか撃ち殺してこちらに帰ってこい!」(大意)
みたいな感じで必死の説得に努めた上官本人は、その後ニューギニアで戦死。
反乱軍側で説得されていた下士官は退役し(軍籍剥奪され)て、戦後は故郷で不動産業で成功する。
上官の妻にその録音を聞かせる。
死刑になった決起将校の夫人に、夫が事件当時に電話で話した様子を聞かせるとか。
背広を着た軍人日米開戦を後押しした鈴木貞一、「背広を着た軍人」が語った“必敗の経緯”(大地主の息子で中央のエリート街道ばく進)に当時の様子を聞きに行くなども。
山下奉文 - Wikipedia
山下宅で電話を受けた義妹(妻の妹)が登場
鈴木貞一 - Wikipedia
NHKの取材を受けた当時の鈴木は卒寿(90歳)を迎えていたがダンディな服装で現れ、記憶力や会話も極めて明晰で、中田を驚かせた。
馬奈木敬信 - Wikipedia
駐日ドイツ大使館のスタッフだった外交官(後に駐日西独大使)にも西独までインタビューに行く。
焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか(大前 治) @gendai_biz
戒厳司令部だった九段会館(旧軍人会館)の部屋に難波を立たせて、自分が電話の盗聴を命じたと証言させる。