『姉貴の尻尾-向田邦子の想い出』(向田 保雄)
データは文庫版(1993年)のものだが、読んだのは図書館の単行本 (文化出版局1983年刊)。
長女邦子(昭和4年生)、長男保雄(2歳違い)、上の妹廸子(次女、邦子の6歳下)、下の妹和子(3女、邦子の9歳下)
という構成の模様。
※なお、文春文庫『写真とエッセイで綴る姉の素顔 向田邦子の青春』向田和子 | 文庫で和子さんは、「邦子より三つ年下の長男・保雄」と記している。
ご本人と妹さんの認識の相違の原因は?
(全くの想像だが)邦子昭和4年1929/11/28生まれ、に対して
保雄氏が昭和7年の1~3月生まれ(早生まれ)だとすると、
2学年違いなので、通常「2歳違い」と認識される(ご本人の認識)。
生年の暦年だけで比べると、昭和4年と同7年なので「三つ下だ」となる(和子さんの計算)。
ってとこじゃないかな?
1981年8月の飛行機事故(海洋に近い台湾島内を頻繁に飛行したため、塩害の影響で与圧隔壁の腐食が著しく進行していた。これによって貨物室の外板が客室与圧に耐えられなくなって破壊され、空中分解に至った~Wikipedia)で、遺体の確認と引き取りに台湾に飛んだ前後の思い出を含む、保雄氏が綴る邦子の思い出。
写真は、向田さんの遺骨を抱く弟の保雄さん
エッセイで家族の出来事の思い出を紹介し始めた邦子に対しては、家族から苦情の嵐となったが、たびたび、食事をおごりながらなどしつつ上手いこと思い出を引き出されてネタにされてしまう。
弟さんが語った学校時代の同級生の思い出を、邦子が自分の同級生のことだとして書いてしまうなど、朝飯前。
文句を言うと、「自分の同級生にもいたもん」と強弁してみせるものの、表情からバレバレ~最終的に白状させるところまでは追い込まずに勘弁してやる弟。
やはり、向田邦子のエッセイに複数回出てくる、「1945年3月10日の東京大空襲で中目黒の家の周囲が焼けたが向田家は奇蹟的に焼失を免れた件」(11/27,28参照)は、4月か5月(山の手空襲)の出来事だったが、話を印象的にするために、「3月10日のこと」と潤色(話をそのままでなく、事実を誇張したりある意図に従って作り変えたりすること)したものである確信を深めたw
向田エッセイは、自分の体験「も」(「を」ではなくて、「も」ね!)使いながら、読者に強い印象を与えるお話に作り上げたステキな作品であって、事実であるように書いてあることが全部事実だと真に受けるようなものではない。
という理解に至った、昭和が遠くなった作者の生後92年(没後40年)。
データは文庫版(1993年)のものだが、読んだのは図書館の単行本 (文化出版局1983年刊)。
長女邦子(昭和4年生)、長男保雄(2歳違い)、上の妹廸子(次女、邦子の6歳下)、下の妹和子(3女、邦子の9歳下)
という構成の模様。
※なお、文春文庫『写真とエッセイで綴る姉の素顔 向田邦子の青春』向田和子 | 文庫で和子さんは、「邦子より三つ年下の長男・保雄」と記している。
ご本人と妹さんの認識の相違の原因は?
(全くの想像だが)邦子昭和4年1929/11/28生まれ、に対して
保雄氏が昭和7年の1~3月生まれ(早生まれ)だとすると、
2学年違いなので、通常「2歳違い」と認識される(ご本人の認識)。
生年の暦年だけで比べると、昭和4年と同7年なので「三つ下だ」となる(和子さんの計算)。
ってとこじゃないかな?
1981年8月の飛行機事故(海洋に近い台湾島内を頻繁に飛行したため、塩害の影響で与圧隔壁の腐食が著しく進行していた。これによって貨物室の外板が客室与圧に耐えられなくなって破壊され、空中分解に至った~Wikipedia)で、遺体の確認と引き取りに台湾に飛んだ前後の思い出を含む、保雄氏が綴る邦子の思い出。
写真は、向田さんの遺骨を抱く弟の保雄さん
エッセイで家族の出来事の思い出を紹介し始めた邦子に対しては、家族から苦情の嵐となったが、たびたび、食事をおごりながらなどしつつ上手いこと思い出を引き出されてネタにされてしまう。
弟さんが語った学校時代の同級生の思い出を、邦子が自分の同級生のことだとして書いてしまうなど、朝飯前。
文句を言うと、「自分の同級生にもいたもん」と強弁してみせるものの、表情からバレバレ~最終的に白状させるところまでは追い込まずに勘弁してやる弟。
やはり、向田邦子のエッセイに複数回出てくる、「1945年3月10日の東京大空襲で中目黒の家の周囲が焼けたが向田家は奇蹟的に焼失を免れた件」(11/27,28参照)は、4月か5月(山の手空襲)の出来事だったが、話を印象的にするために、「3月10日のこと」と潤色(話をそのままでなく、事実を誇張したりある意図に従って作り変えたりすること)したものである確信を深めたw
向田エッセイは、自分の体験「も」(「を」ではなくて、「も」ね!)使いながら、読者に強い印象を与えるお話に作り上げたステキな作品であって、事実であるように書いてあることが全部事実だと真に受けるようなものではない。
という理解に至った、昭和が遠くなった作者の生後92年(没後40年)。