『日米交換船 』
鶴見 俊輔 加藤 典洋 黒川 創【著】
新潮社 (2006/03/30 出版)
「帰国から六十数年、〈交換船〉のすべてを、いま語っておきたい」――鶴見俊輔
‘日米史の空白を埋める証言と論考’というのは誇張じゃないな。
鶴見俊輔さんについて、名前は聞くがどういう人なのか興味がなくて知らなかったのだが、本書の共著者との会話で色々語られていて、初めてわかった。
wikiの記述も本書中の記載を多く参考にしているようだ。
wiki/交換船
簡潔に記載があるが、このほか「秘話」っぽいお話が山盛りだわな。
最近、読んだ本の中ではもっとも読み応えのある本でした。と「切抜き速報」編集部
ヨーロッパでは古くからちょくちょく戦争をしてきたので、捕虜の交換などに関して長年積み上げられてきたルールがあったし、王様同士が従兄弟同士だったりするので云々という説明が分かりやすかった。
明治の日本も、リーダーたちは若いころサムライだったわけで、先進国の仲間入りをするために守る必要のある規範への理解などがしっかりしていたと考えられる。
その後、誤解した内向きの人材がリーダーになる時代を迎えると、国際ルールなんのそのというノリになってしまった…、というと乱暴かな。
ともに帰国した人々について語られる中で、興味を引いた人物について:
坂西 志保(さかにし しほ、1896年(明治29年)12月6日 - 1976年(昭和51年)1月14日)
‘その一方、坂西は日本海軍の優秀なスパイでもあり、「米国における日本のベストの要員の一人」(アメリカ海軍情報将校エリス・ザカライアス大佐による評価)として、アメリカの情報当局からマークされていた。’
というくだりが気になる。
~この項、続編へ?
加藤 典洋氏「まえがきにかえて」にこんな記述が:
‘さらに、鶴見が後に思い立ち、いまも健在の三人の交換船帰還者(ヴァイニング夫人通訳の松村たね氏、武田清子氏、鶴見和子氏)を訪れている。鶴見によるその三人からの短い聞き書きが、別のカメラ・アイとして付属している。’
ふむ、ヴァイニング夫人通訳の松村たね氏か…。
『天皇とわたし』1989年12月刊
あなたの名前はジミーです/わたしのしたことで成功したものがあるとすれば
2005年9月に米寿を迎えられた松村(旧姓高橋)たね女史は、ICUの図書館長をつとめられ、引退後のいまもご自宅で英語を教えるほかに、聖路加病院で外国人患者のボランティア通訳をされている、と。
それにしても、開戦直前の引揚船の偽装出帆というのがすごいな。
在米留学生に対しても、龍田丸が来るのでそれに乗って帰国せよと命じる。
留学を中止させられた学生は学籍を抜いて住まいも処分して西海岸に向かうのだが、じつは開戦と同時に船は日本に引き返してしまい、学生は行くところがなくなってしまう。
最初からそうなることは承知の上で、淡々と指示。
悲運の戦時日本商船(33)
悲劇の龍田丸、最期の航海
ほか、大学時代にほんの少しご縁のあった先生方(かすめていた程度でしかないのだがね…)に関しても言及されていて、興味深かった。
鶴見 俊輔 加藤 典洋 黒川 創【著】
新潮社 (2006/03/30 出版)
「帰国から六十数年、〈交換船〉のすべてを、いま語っておきたい」――鶴見俊輔
‘日米史の空白を埋める証言と論考’というのは誇張じゃないな。
鶴見俊輔さんについて、名前は聞くがどういう人なのか興味がなくて知らなかったのだが、本書の共著者との会話で色々語られていて、初めてわかった。
wikiの記述も本書中の記載を多く参考にしているようだ。
wiki/交換船
簡潔に記載があるが、このほか「秘話」っぽいお話が山盛りだわな。
最近、読んだ本の中ではもっとも読み応えのある本でした。と「切抜き速報」編集部
ヨーロッパでは古くからちょくちょく戦争をしてきたので、捕虜の交換などに関して長年積み上げられてきたルールがあったし、王様同士が従兄弟同士だったりするので云々という説明が分かりやすかった。
明治の日本も、リーダーたちは若いころサムライだったわけで、先進国の仲間入りをするために守る必要のある規範への理解などがしっかりしていたと考えられる。
その後、誤解した内向きの人材がリーダーになる時代を迎えると、国際ルールなんのそのというノリになってしまった…、というと乱暴かな。
ともに帰国した人々について語られる中で、興味を引いた人物について:
坂西 志保(さかにし しほ、1896年(明治29年)12月6日 - 1976年(昭和51年)1月14日)
‘その一方、坂西は日本海軍の優秀なスパイでもあり、「米国における日本のベストの要員の一人」(アメリカ海軍情報将校エリス・ザカライアス大佐による評価)として、アメリカの情報当局からマークされていた。’
というくだりが気になる。
~この項、続編へ?
加藤 典洋氏「まえがきにかえて」にこんな記述が:
‘さらに、鶴見が後に思い立ち、いまも健在の三人の交換船帰還者(ヴァイニング夫人通訳の松村たね氏、武田清子氏、鶴見和子氏)を訪れている。鶴見によるその三人からの短い聞き書きが、別のカメラ・アイとして付属している。’
ふむ、ヴァイニング夫人通訳の松村たね氏か…。
『天皇とわたし』1989年12月刊
あなたの名前はジミーです/わたしのしたことで成功したものがあるとすれば
2005年9月に米寿を迎えられた松村(旧姓高橋)たね女史は、ICUの図書館長をつとめられ、引退後のいまもご自宅で英語を教えるほかに、聖路加病院で外国人患者のボランティア通訳をされている、と。
それにしても、開戦直前の引揚船の偽装出帆というのがすごいな。
在米留学生に対しても、龍田丸が来るのでそれに乗って帰国せよと命じる。
留学を中止させられた学生は学籍を抜いて住まいも処分して西海岸に向かうのだが、じつは開戦と同時に船は日本に引き返してしまい、学生は行くところがなくなってしまう。
最初からそうなることは承知の上で、淡々と指示。
悲運の戦時日本商船(33)
悲劇の龍田丸、最期の航海
ほか、大学時代にほんの少しご縁のあった先生方(かすめていた程度でしかないのだがね…)に関しても言及されていて、興味深かった。