真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

ナチ・ハンターズ (エピソード5,6)メンゲレ、リシュカ

2010-11-15 | 日記
#5 ヨーゼフ・メンゲレ/JOSEPH MENGELE
Joseph Mengele - Nazi Hunters - History Television

ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele、1911年3月16日 - 1979年2月7日)

結局、逃げおおせる。
最後は、ブラジルに「落ち延びた」感じだったようだが、捕まらずに病死した。

遊泳中に心臓発作で死亡したと事後に判明。
埋葬された遺体が、たしかにメンゲレ本人かどうかで、後にすったもんだがありました、と。

アイヒマンを捕縛したモサドのチームに、併せてメンゲレも確保するよう指令が下る。
工作員らは、メンゲレの居所を究明し、監視体制に入るが、「本人である確たる証拠が必要」だのなんだの言われているうちに一旦帰国せよとなり、そうこうするうちに失探。

自動車工場の一工員として質素な生活を送っていたアイヒマンと違って、ドイツ本国の援助者からの秘密援助も受けていたメンゲレ(実家は裕福)は、逃亡先でもよい暮らしだったが、アイヒマン捕縛の報を聞いた後は、「自分もいつか・・・」と被害妄想に悩まされ、常にびくびくして暮らす。

Holocaust Encyclopedia/Josef Mengele

Josef Mengele "The Angel of Death"

Uki Goñi (born 1953) is an Argentine author who is principally known for his work documenting the escape of Nazi war criminals from Europe.

登場する双子のひとりは、有名人。
Eva Mozes Kor

Forgiving Dr. Mengele is a documentary film about Eva Mozes Kor...

Holocaust Twins' Survival Story
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#6 クルト・リシュカ/KURT LISCHKA
Kurt Lischka - Nazi Hunters - History Television

Kurt Lischka
German Security Police - France


フランスのユダヤ人の強制収容所へに移送という大プロジェクトを、効率的に段取りした。
戦後、フランスの欠席裁判で有罪判決を受けるが、逃げ帰った西ドイツでは責任追求されない。
その才能を穀物輸送事業にそのまま生かして、ケルンでのうのうと暮らしているのを発見したナチ・ハンターのクラルスフェルト夫妻。

カメラマンを雇って動画を撮影してマスコミにアピールするが、盛り上がらない。
読めないんだけど、この静止画像の元

で、直接的な行動に出る夫妻。
それにしても、白昼堂々、ケルン市内の路上で拉致ろうとは大胆な。

その後いろいろあって(ベアテ夫人が逮捕されたり、夫セルジュがリシュカに路上でピストルを突きつける場面も)、西ドイツ政府がナチ戦犯の責任追及の法律を制定し、ようやくリシュカも捕縛され、裁判に。

西ドイツのネオナチは、夫妻に小包爆弾を送り付けて脅迫したり、自動車を本当に吹き飛ばしたりして、執拗に妨害する。
夫妻は、マスコミを利用した世論アピールに長けており、何やかやと話題づくりが上手。
新聞の見出しになるような、人目を引く出来事を起こす。

10年の刑で服役中に、病気のため執行停止、釈放され、死亡。
例によって再現ドラマと実写に解説が加わる

Klarsfeld夫妻:
Serge and Beate Klarsfeld

財団!
KlarsfeldFoundation.org Chronology

1971
Turning to unfinished business with Nazi murderers who remained unpunished, Serge and Beate attempt to kidnap Kurt Lischka, wartime Gestapo chief for Jewish affairs in France and an architect of the deportations. Lischka lives in Cologne, where he was Gestapo chief just before the war, and the Klarsfelds intend to return him to France, where he was condemned in absentia after the war. Lischka evades capture when passersby and police intervene, but Serge and Beate get away.

wikiのリシュカの項。
Kurt Lischka (August 1909~Mai 1989)
In anderen Sprachen:Español/Français/Nederlands/Polski

wikiの記述、確認した時点では、英語・日本語ともなし。
英語もないというのは興味深い。
フランスでユダヤ人相手に・・・ということで、当該ユダヤ人たちの中で、米・英に移住した人はいないということかな。

◇とりあえずここまで(1~6)見た総論:
モサドの工作員が他国で戦犯を拘束し殺害したり、旅客機で自国に連れ帰ったり、
素人夫妻+助っ人たちが同じく(隣国で)拉致ろうとしたり、
皆さん、ずいぶんと大胆でしたこと。

明白な主権の侵害など、なんのその。
とはいえ、捕り物を演じる国は、反体制派の人物がある日消えてしまったりするようなこともあったわけで、「人権だの何だの、お互い言えたものでしょうか?」的な時代ともいえる?

金大中事件は1973年。
北による日本国民の拉致は、いつまで実施されたの?

クラルスフェルト夫妻の大胆な行動も、当初は世論喚起を目指したものの、反応が鈍いとなると、ターゲットを拉致して(西独から仏に移送して)仏官憲に引き渡そうと試みるなど、違法行為も気にしない。

何を思い浮かべたかというと、反捕鯨云々の某環境テロリスト集団。
宅配便の営業所に潜入して、運輸業者が顧客から委託された荷物を盗み出しておいて、目的が正しいから構わない云々と主張したのだっけ?

世論喚起を目指して・・・という部分だけでいえば、クラルスフェルト夫妻の行動に習ったといえるのかもしれないが、基本のところで異なる?

ク夫妻は、夫が弁護士だし、自分たちの犯した違法行為は堂々と認めていた筈なのだが、21世紀のトンデモ君たちは、恥知らずにも無罪を主張したのだっけ。
違和感ありすぎで、世論喚起には程遠いと思うけど。

え?日本の世論なんかターゲットではない?
あ、そ。

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