真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『玉音放送をプロデュースした男―下村宏』

2010-11-16 | 読書-歴史
玉音放送をプロデュースした男―下村宏
坂本 慎一【著】
PHP研究所
(2010/08/03 出版)

『PHPビジネスレビュー』誌の連載「松下幸之助を日本中に紹介したジャーナリスト 下村宏」の加筆修正である由。

下村宏 しもむら ひろし
明治8年5月11日~昭和32年12月9日(1875~1957)


逓信省(かんぽの祖)
台湾総督府民政長官(後に総務長官)台湾総督は明石元二郎
大阪朝日新聞社
貴族院議員
日本放送協会会長
1945年4月鈴木貫太郎内閣で国務大臣兼情報局総裁

憲政資料室の所蔵資料をさがす>憲政資料> し>下村宏関係文書

明治のエリート官僚ね。
本書からは、「凄いんだぞ、どーだ」的な印象を受けるのだが、確かに凄かったようだ。

そのわりに(故郷の偉人として記録されている和歌山方面は別として?)あまり知られてきたとは言い難い、のだろう。

紀の国の先人たち > 下村 海南

終戦に際して、有能な元高級官僚として、マスコミ出身者として、ラジオの力を知り尽くす者として、歴史に残るラジオ放送を仕掛けた。

大座談会の時(1963年)までは生きておられなかったので、参加はないわけね。

終戦関連の本はいくつか読んでいるが、下村氏の役割についての記述が(あったのだろうけれど)印象に残っていない。
だいたい、情報局総裁というポストに馴染みがないし。

情報局(1940年12月6日~1945年12月31日 廃止)

「ラジオで放送すればいい。正午がいい」と昭和天皇はじめ関係者に説いて実現したという玉音放送。
録音盤の争奪で云々という話はしばしば語られてきたと思うが、そういえば、そもそも昭和天皇にラジオでアナウンスしていただこうと思いついて実現にこぎ着けた人物の話は、聞いたことがなかった。
そうでもしないと国民が納得しないというわけで、究極のラジオデビューだったな。

abc1008.com | 武田和歌子のぴたっと。
放送日:2010年8月23日(月)

松下理念研究部 主任研究員 坂本 慎一 (さかもと・しんいち)

戦時中の役割等々、色々議論があるのは当然だろう。
マスコミ不信日記 2007年03月03日

下村宏が「朝日出身のA級戦犯」なことはスルーですかそうですか(後)

(4-5) NHK会長の朝日新聞人脈=情報局水脈の過去


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