試し読み | 岡本行夫 『危機の外交 岡本行夫自伝』 | 新潮社
目次
第1章 父母たちの戦争
第2章 日本人とアメリカ人
第3章 敗者と勝者の同盟
第4章 湾岸危機―日本の失敗、アメリカの傲慢
第5章 悲劇の島―沖縄
第6章 イラク戦争―アメリカの失敗、日本の官僚主義
第7章 難しき隣人たち―日本外交の最大課題
第8章 漸進国家・日本
父君と母堂の物語は強烈。
成績抜群で農林省のエリート技官となった父の脩三氏は、反戦主張を曲げなかった。
このため、英国留学を取り消され、31歳で懲罰召集されて輜重兵卒として関東軍へ。
将校登用試験(学卒なので、部隊は当然受けさせようとする)の応募は頑なに拒否。
現地で陸軍のロシア語学校に応募しトップの成績で修了すると、なんと731部隊のロシア語通訳要員を命じられる。
その間の経験は語られないが、敗戦確定とともに施設・資機材を廃棄し、人体実験要員も処分(殺害・焼却)して最優先で帰国が図られ(少年隊生存者への取材による)、8月24日にはもう帰国。
旧家の生まれで大正デモクラシー下に育ち、扇町高女、帝国女子薬専卒(実家が薬店)の情熱的な母の和子さんは、6歳の長男を連れてハルビンまで夫に会いに赴く。このタイミングで次男受胎~1945年〈昭和20年〉11月23日生まれ。
この行動がなかったら、岡本行夫は生まれていなかったわけね。
INF全廃条約の際に日本の主張を入れさせた経緯の詳細は知らなかった。
単に「極東に残すのヒドイ。何とかして!」ではなく、具体的な代案(陸自出向者のアイデアを容れて「残すのならバルナウルに集中すればどうか」)を説得力を持って提示していたのね。
ロシア:バルナウル - 旅行のとも、ZenTech
鮮やかな。
トップ同士のケミストリーが合うことの大切さよ。
よしんば(使い慣れない言葉を使ってみる)合わなくてもなんとかしなくてはならないのは当然だが、やはり物事がサクサク進むのは、トップ同士の信頼関係がしっかりしている時。
政治家もそれは分かっているので、相手方と信頼関係を構築することに努めるわけだが、無理してファーストネームで盛んに呼んでみたりするが・・・というイタい光景はしばしばしばしばしばしば見るわけでねぇ。
岡本行夫著『危機の外交 岡本行夫自伝』(新潮社、2022年) – 一般社団法人 霞関会
小川郷太郎大使は岡本氏と同期入省ね。
【書評】『危機の外交 岡本行夫自伝』岡本行夫著(新潮社・2420円)左右、官僚組織と闘った男
宮家邦彦(外交評論家)氏は、本書にも登場する(デキる)元部下。
「アイデアが豊富なうえに、ふてぶてしい神経と行動力を持った男」と激賞。
お知らせ|岡本行夫 公式Webサイト
岡本行夫という生き方 | 特集記事 | NHK政治マガジン
【新刊紹介】日本の行く末を憂いた渾身の回顧録:岡本行夫『危機の外交 岡本行夫自伝』
岡本氏の高校・大学の先輩にあたる石原慎太郎氏は生前、都知事の後任にと岡本氏を口説いたが固辞されたことを明かしていた。
まあ、受けなかったのももっともではあるな。
日本にとって最大の危機とは? 〝情熱の外交官〟岡本行夫 最後の講演録 - 真似屋南面堂はね~述而不作
『日米同盟の危機―日本は孤立を回避できるか』(森本 敏/岡本 行夫【著】2007年) - 真似屋南面堂はね~述而不作
森本 敏氏の活躍も本書で語られる。
知の超人対談―岡本行夫・佐藤優の「世界を斬る」は企画の勝利 - 真似屋南面堂はね~述而不作
佐藤優氏はねぇ、ウクライナを侵略するロシア擁護の論陣を張っているようで、「知の虚人」との声も出ているようなんだが、病状はどうなんだろうか。
「90年代の証言」シリーズ最終巻は外務省の枠に収まらなかった外交官 - 真似屋南面堂はね~述而不作
さて、吉例重箱の隅。
p68 「グラマン機の爆撃手たち」
という小見出しは意味不明の極み。
この節で記載されているのは、
・日本本土空襲の際に護衛戦闘機が帰路に地上目標を機銃掃射した事例が多かった(「パイロットの顔も見えた」が必ず伴う)ことと、
・ドーリットル爆撃隊の爆撃手と著者の縁について
だ。これを無理に一言で表現しようとして破綻している。
(昭和後期の日本で)軽飛行機がすべて「セスナ機」と称されがちだったことと似ているが、大戦末期に日本本土で地上の機銃掃射を行った単座機は、その多くが海軍の(空母から発艦した)グラマン社のF6Fだったのはその通りだったと思われるが、100%ではない。
硫黄島から来ていたのは陸軍航空軍のP51Dだった筈で、他にF4Uも飛来していた。
「地上の目標を狙ってきた単座機は全部グラマン」で統一して語られるのは、逃げる方も必死だったし、まあ仕方ないのだけれど。
それと、爆撃手(つまり大型機)は全く別。「グラマン機」に爆撃手は乗っていない(3座のTBFは無線士が兼任)。
お薦め案とて困るが、「米軍機の乗員たち」とかならば間違いにはならないかな。
記載されているジェイコブ・デシェーザーはドーリットル部隊の(ノースアメリカンB25爆撃機の)爆撃手で、日本の捕虜となって40か月の捕虜生活を送り、戦後、宣教師となって再来日、大阪を経て名古屋で宣教活動に従事した人物(知らなかった)。
大阪では母堂の実家に寄留し、著者も10歳当時(1955年頃ということになるね)に会った記憶があるという。
ジェイコブ・デシェーザー - Wikipedia
Blog: Former POW Jacob DeShazer Returns to Japan | Christian History Institute
更にマイナーだが、
p313の写真のキャプション 「米軍のC-130ヘリの中で」
はC130輸送機だわね。
写真に写っている操縦席前の窓ガラスの形状も、こんな感じだし。
Illinois Air National Guard C-130 pilot supports airlift ops in Afghanistan
県営名古屋空港 /AEROSCAPE GALLERY
そりゃ米軍ヘリにも乗られたことがあるだろうけれど、どうせこのシリーズでしょうから、掲載写真とは違うよね。
※登場する人物名については、他の役所や機関の人々も含めて秘書さんたちがしっかり確認した(最終役職=いい仕事ができた時のカウンターパートがその後どこまで偉くなったか、まで)ことが窺えるが、兵器・軍用資機材については確かめる発想がなかったんです?
本書で批判された人たちは、すべてが故人というワケではない筈だが、著者の方が2020年に亡くなっているので、「ぐぬぬ」となって悔しいかもしれないが・・・。
逆に、著者の逝去の直前に、メタクソに批判した「なんとか戦記」とかを上梓したかたは後味悪いのか、そうでもないのか・・・。
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