あの 真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年 大島 隆之 2022/11 - 真似屋南面堂はね~述而不作 大島ディレクターの作品。
お!この写真じゃん。↑
【レポート】NHKエンタープライズ・ディレクターの大島隆之さんをお迎えしたテレビノーク#6|NOOK(のおく)
広島県江田島の自衛隊施設に残る「遺書」
戦後、旧海軍関係者が遺族のもとを回って遺書や写真などを回収し(寄贈するよう働きかけ?)、それらが海自の第一術科学校に保管されているのだという。
取材者はその閲覧や写真撮影を許され、特攻戦死者の本籍地に遺族を訪ねて、遺書の写真を見せてその様子が番組の重要な要素に。
旧海軍関係者に遺書を託した遺族は、親や兄弟姉妹だっただろうが、2023年に至ると、「長兄が特攻戦死者で、年の離れた末の弟さんが健在」等はあるものの、戦死者を直接知る人々の多くは物故しており、それらの人々の子や孫が取材者から経緯を聞かされて、写真でしか知らなかった大伯父/叔父などの遺書なるものを初めて見せられるなどかねぇ。
戦後、遺書を回収(寄贈するよう働きかけ)して回った旧海軍関係者は、何の権限があって写しも残さず原本を集めたのか?
海軍への批判が記されている可能性がある文書を全国津々浦々に残さないようにとの指令があったのか。
怪しさ満点じゃん。
この経緯を追求しましたところ…という説明が欲しかったと思うなど。
(特別に見せてもらったので、そんなこと聞いたらドアをバタンと閉められちゃうじゃん!なのかも?
2013年に亡くなった
角田和男 - Wikipediaさんの生前の取材時の動画もかなりの尺を割いて紹介。
「特攻の目的は戦果にあらず」|戦争|NHKアーカイブス
特攻突入を見届け続けた歴戦の戦闘機乗りが生涯を捧げた「慰霊の旅」(神立 尚紀) @gendai_biz
日本側の編成表(搭乗割)と米側撮影の動画を突き合わせると、(もし突入順が搭乗割の通りの順だったとすれば)各機の突入の様子が個人別に判明するというのもすごいわ。
さらに、印象深かったのは、海軍が基地の近隣の民家に、休日に兵士の訪問先(一般家庭と交流して寛いで欲しい)を引き受けるよう要請した中で、飛行士と引受先家庭の妙齢の女性が親密になり、デートなどを重ね、気持ちが通じるようになったというケース。
飛行士が訓練基地から出撃基地に移動した後も、女性は父親名義の封筒で飛行士と文通を続けたという。
やがて飛行士は出撃し未帰還(戦友が知らせに来てくれた)。
当該女性は戦後、結婚したものの、その後離婚し、若き日に心を通じ合った飛行士の写真1枚(集合写真の引き伸ばしで不鮮明)をよすがに取材時の99歳まで生きてきたという。
その女性に、(遺族の了解を得て)入手した飛行士の鮮明な写真引き伸ばしを贈呈し、反応を見る。
「自分が死ぬときはこのうちの1枚を抱いて逝きたい」という反応。
恐れ入りましてん。