福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

☆見習い時代の初任給☆

2010-01-02 23:43:54 | 日記

当時雑用とシャンプーしかできなかった私の初任給は4万円でした
バイト時代のお給料は16万円でしたがその4万円を手にした時の想いは、
『重い金額やな』ってものすごく嬉しかったです。 念願のサロン勤務で夕方から抜けて学校に通える有り難さに感動していました。でも学費を支払っていけるのか?と両親は心配していましたがあえて言葉に出さずに交通費を出してくれたり時には服も買ってくれました
帰宅時間も遅くなります。朝も早くいつも暗い空しか観てない生活と変わりました。
手荒れが酷かった時期は、自転車のハンドル操作がてこずりバランスを崩して転倒したり…自分の髪の毛が洗えない時は母親がシャンプーしてくれました
十本の指の節々は全て割れて肘まで荒れていましたが『めっちゃ痛いし痒いけど一人前の美容師になる迄に辛抱しかないやん!手荒れは美容師してる証拠やん』と日々一人前の美容師になっていく自分に酔っていましたね
学歴がないって言うレッテルや両親に対しての罪悪感は完璧なスタイリストになった24歳迄の期間心の中は正直しんどかったです

☆17歳夜間美容学校へ☆

2010-01-02 19:44:19 | 日記
無事翌年の秋に関西美容専門学校夜間部へ入学できました

志津屋さんとお別れとなり晴れて初めての美容室で見習い修業を入学と同時期にとなりました


美容知識が全くない素人の私…年齢も17歳でしたねサロンは大阪府寝屋川市にある小さな個人店でしたオーナーは五十代の女性、子供はいないと言ってられて私を含め三人のアシスタントの四人営業でした。 先生の明るくチャキチャキサッパリした性格はどんなお客さんにも喜ばれていました。客層が幅広く、ファミリーでのご来店が多かった。カッターは先生一人だけでしたが仕事が早過ぎてものすごくパワフルな女性美容師さんでした
毎日本当に忙しく気がつけば私の手荒れはものすごく酷く荒れていました。私は見習いなのでまだまだ仕事と言っても掃除と準備、シャンプーしか出来ない状態でした。
先生は忙しい中でもちびっこの私を気遣ってくれ、『シャンプーは体力がいるからご飯食べておいで!』 先生はご飯処ではない状態に追われていました。
『もっと仕事ができるようになったら先生にご飯食べてもらえるのにな…』

覚えの遅いのろまの亀サンだった私のレッスンにも学校がない曜日には付き合って下さいました

『ちかちゃん私には子供がいないから…将来このお店をちかちゃんに譲りたいと思ってるねんだから私について来てね』


私は不思議でした。
シャンプーしか出来ない私に店を譲りたいって…私の何を見て言ってはんねんろ…
17歳の私には返す言葉がなくただじっと黙っていました。


☆初めてのアルバイト☆

2010-01-02 03:21:40 | 日記

アルバイト募集の張り紙を四条河原町の志津屋と言うパン屋さんの二階にある喫茶部に決まりました。
子供の私を社員さんは優しく色んな事を教えてくれました

働くって楽しいやん

しかしながら…

暇な日は二時間で上がる事もあり内心焦りました 違うバイトの掛け持ちを閃き即面接に行きましたら…
『高校の学歴ないのですねちょっとうちは無理やね』

学歴社会の厳しさを初めて知りました。

でも?志津屋さんが忙しくなり1日八時間勤務が安定しました
みるみる時給も上がって行き目標金額も夢ではないLUCKYガールでしたね

社員さんからも

『美容学校早く行けたらいいね美容師と同じ接客業やから遠回りしてないでお客さんの様子や仕事全てに伺う姿勢…観て感じて行動に移す事を忘れたらあかんよ』

観て感じて行動パターンか
観て善い事は真似たらいいんやね

社会の常識をこのアルバイト時代に色んな方々からの心に響く助言を頂けました



☆16歳見習い修業時代☆

2010-01-02 02:59:31 | ひとり言
昨日の書き込みをした後で昔の見習い修業時代背景を思い出しました
∞振り返る十代の私∞
高校一年の冬休みに高校中退届けを父親と一緒に提出しました。
風邪をこじらせで入院中のベッドの上で『留年するかもしれないな?』と一人考えていました。京都1厳しい高校と噂の校則は学校行事に休むと色々な処罰が与えられました。『病気で入院してたのになんで留年にクラブ停止なん?』
16歳の私は疑問に感じ担任の先生に訴えました。
納得いかず…高校を辞めて学歴なくなってしまうなら私は何の職業につけるんだろう?
後ろの席のお友達との会話から…お姉さんが関西美容専門学校に通ってる…なら私は美容師になるしか道はないな
安易な考えを母親から叱られました。
『高校も卒業できない子に美容師なんてなれるわけがない。そんなに美容師になりたいなら全て自分の力でやりなさい!!』

その通りやなって感じました

だから昼間に働き入学金を先ずは貯めて、夜間の関西美容専門学校に通い、朝から夕方までサロンで見習い修業にと入学迄のビジョンをスケジュール帳に書き残し、掲げました。
時には挫けそうになる自分の弱い心を支えるのは自分が決めた目標の文字でした
未だにその習性は継続しています