福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

☆最後の笑顔☆

2010-01-04 11:19:13 | ひとり言

後輩と共に退職届けを提出しました。

オーナーからは、お客様には退職する事を言わない事
明日からは私は支店勤務、後輩は本店勤務を命じられました。
3ヶ月後で退職と決まりました。

一番に迷惑をかけるのは私を待つお客様でした。

支店に駆けつけてくれるお客様が増えて行きました。本店に毎週金曜日にシャンプーブローで来店されるお客様は離れて勤務する後輩に任せました。
後輩とは3ヶ月離れて勤務していましたが今ある毎日をコミュニケーションを保ち『体は大丈夫か!私は大丈夫やから!頑張ろな!』
最後の3ヶ月は何故が気持ち良く勤務できました。

やっと自由になれるという解放感と背中合わせに他に残る後輩スタッフ達に対しての罪悪感

退職する事は私達2人とオーナー夫妻しか知らない事が辛い期間でもありました
美容師として又新たな道は与えてもらえるはず…
私は京都に後輩は和歌山県に戻りました。

直ぐにサロンを探す気力はなく、精神的に病んでいたので自宅で静養する事にしました。
もぅ焦ってはあかんやろ…
当時24歳目前の私でした。


☆力尽きた美容師魂・後編☆

2010-01-04 11:01:37 | ひとり言

サロンに戻った私を待ってくれたのは後輩数人とお客様

依然としてエスカレートする虐めや傲慢な心ないおもてなしするスタッフと真面目過ぎと言われる私達スタッフが対立するサロンの心地悪い空気がものすごく嫌だった。

何の為にこのサロンで働き向上できるのか?
人を選び雇うのは私達ではなくオーナーでした。
オーナーに立ち向かえば、きっとわかってくれるはず応援してくれていたから…すべてを話してみよう!
でもオーナーは何も言ってくれませんでした。

この時点で二人三脚で頑張ってきた女の子後輩と私は一気に体調を崩しました。希望の光を閉ざされたって初めて味わう気持ちでした
家族経営で反論するスタッフの中にはオーナーの息子さんと娘さんがおられましたから…オーナー自身も悩んだと思います。
数ヶ月後
私は退職届けを後輩と共に提出する覚悟を決めていました。



☆力尽きた美容師魂・前編☆

2010-01-04 10:38:31 | ひとり言
雇われていましたが内心、自分のサロンとスタッフとお客様と言う気持ちの私でしたね。
お給料の貰う金額よりも、サロンの売り上げが気になりました。
お客様が後輩達にもついていきました。嬉しかった。美容師として指導者として遣り甲斐を感じるようになりました。
と同時に
体調不良が続く事が気になっていました。
円形脱毛症と食べても嘔吐をしてしまいました。
ぽっちゃりが痩せっぽっちに激変でお客様は心配しだしました。
無理が祟り…体を起こせなくなってしまいました。 泣く泣く一時京都に1週間静養期間をオーナーから頂きました。
変わり果てた哀れな姿を両親は驚いていました。
心配かけたくなかったから両親にはサロンの悩み事は一切言わなかったけど…
でもこんな姿を見た両親はどんなに悲しんだ事でしょう。
母親は1週間静養期間を終えた私に

『ちかちゃん!何時でも帰って来てもいいねんで!無理したらあかんよ!』

『ありがとう!もう少し頑張ってみる!』

そんな私を見送ってくれました。
『京都に帰りたかった…』でもお客様と後輩が待ってるからと涙を拭いて車のハンドルを握り大阪吹田市に戻りました。

自分の今遣れる限界を知りたかった。

年齢は経験のまだ浅い
23歳の未熟な私でした。


☆突然襲った体調異変☆

2010-01-04 10:20:52 | ひとり言

オーナーと他のスタッフの考え方と対立する日々が続きます。
私達の考え方は真面目過ぎと言う理容スタッフと新人理容師後輩の虐めを見過ごす事ができなかった。努力家で頑張る卵を何故虐めるのか?
やり手な後輩スタッフを押さえ込む卑怯な手が許せなかった。
人間関係が中々上手くいかず相談する人もいない環境が苦しかった。
救いは頑張る後輩スタッフと沢山の優しいお客様でした。
心労のせいか…食欲が落ちていきました。昼御飯は食べる暇もありません。
後輩達を早く育て上げてお客様を増やしたかった。 私だけではなく後輩にお客様を獲得してもらえる為に色んな事をコミュニケーションして行きました。
が体調異変が本格的に襲いました。私と何時も一緒に二人三脚で頑張ってきた女の子後輩共に…


☆建て直しと新たな喜び☆

2010-01-04 10:02:00 | ひとり言

結婚退職する主任先輩を見送り…
サロンの建て直しと新たな役割が沢山ありました。 来ない後輩を迎えに行きました。人を怖いと対人恐怖症の後輩の自宅に会いに行ったり、サロンワークでは朝~夜迄お客様がキレない日々
忙しくてもお客様が待ち望み仕上がりや接客も満足だと喜んでくれました。
真面目なスタッフも力や知恵を私に与えてくれました自然と紹介者が増えていきました。主任先輩に引き継いたVIP顧客も新規のお客様と同じように対当に当たる私の遣り方はVIP顧客も理解して下さいました。 お客様によってコロコロと変わる接客やお上手しないとあかんとの教育は私には反面教師でした。
裏表ないお客様への距離感や平等な接客態度に変えてお客様が来なくなったら又考えたらいいやん!と割り切りました。そして後輩指導に繋げて行きました。
オーナーは全て任せてくれました。
傾いたサロンが少しずつ真っ直ぐになっていってるのだろうか?
必死な毎日でした。



☆かわりゆく環境問題☆

2010-01-04 09:37:32 | ひとり言
オーナーは色んな選択を考えて悩み決めていたんでしょう。
中卒の見習い世代の女の子や中途採用者が増えて行きました。
朝来ない子…トイレに引きこもって出てこない子…3日でこない子…
『朝来ない子を自宅迄迎えに行ってあげてや!』
仕事を任されるようになってからは後輩の指導が主になりましたが違和感を感じる毎日になっていきました。スタッフもオーナーが雇う新たなメンバーが気に入らなかったら文句を言って虐めたりしてごちゃごちゃしたらリストラ…
サロンワークがおかしな状態になっていきました。
お客様にも傲慢な態度をとるスタッフも多くなりました。大好きなサロンが人によってこんなに変わってしまうのか?と怖かったです

真面目な後輩一人と一緒に悩みました。『私らの考え方がおかしいんかな?』
主任先輩は結婚退職がまじかに迫り私にお客様を引き継ぐ事と事務職と後輩指導…とうとう世代交代です。その最中私がサロンに違和感を感じると伝えても『ちかちゃんは大丈夫大丈夫!(笑)頑張ってね!』

どうなるんやろ…変わり果てたサロン…上手く建て直しが可能なのかと不安だった23歳まじかの私でした。
京都が遠く感じる毎日でした。


☆21歳~22歳…過去の私☆

2010-01-04 09:05:43 | ひとり言

美容師が楽しかった。
先輩に恵まれ後輩も2人いて同じ年のオーナーの娘さんとの5人の奮闘するサロンワーク…

翌年には仕事がかなり出来るように成長していましたこのサロンの得意技術は…レザーカットでした。
この技術を高めてモノにしたかった。
同時期にメンズのお客様にも入るようになってから、女性スタッフと距離を感じるようになりました。
私以外の女性スタッフは…メンズ客を拒みました。 その気持ちと私の気持ちがいざこざになりましたが、技術力を伸ばしたかったから女性男性客をこなしたいと主任には伝え、オーナーにも正直な気持ちを伝えたら『午前中は支店が関大生の来店が多いから支店に行きなさい!午後からは本店に帰って来たらいいよ』

月曜日の休みには後輩と一緒に先生の友人…年中無休の理容室に営業件技術力アップする為に数ヶ月通いました。
仕事が速~い!
先生の友人先生は字が綺麗で時にはこっそり…
顔反りのブラシを筆にして鏡に文字を書いて私達を喜ばせてくれたり、演歌歌手の後援会に入っていると自慢気に歌を歌ってくれる明るくユーモアセンス抜群の理容師師匠でしたね!
手作りの長崎チャンポンの味は今でも忘れられない美味しい味でした。
後輩の女の子と2人で歩む違うサロンワークは思い出深いです。


☆一年を二年分☆

2010-01-04 08:24:54 | ひとり言
新たなサロンでの気持ちは『ゆっくりぬるま湯の二年間を取り戻したくて一年を二年分頑張らなあかん!三年経過したら一人前の美容師になれる!両親の元…京都に戻りたい』

当時私を指導してくれたのは、美容師主任女性四歳年上だったと思います。

この先輩が私を変えてくれるきっかけを沢山くれました。
優しさよりも『厳しさ』が主でした。
見習い時代の先生と気性がとても似ているバリバリな女性美容師さんでした。

私は一応スタイリストととして雇われたので…毎日がドキドキの連発でしたね。
フリー客を入らせてもらいましたが女性客が僅かな人数しか来店がありません。先輩のお客様が多くHELPが主で先輩の思うスタイルやパーマを巻かないと駄目ですが上手く技術ができない私を毎日苛々されていました。短い髪の毛を巻けない私の至らぬ技術力に呆れる処か先輩は『地下室からウィッグを一体持ってき(`´)』持っていたウィッグを二センチ位の長さにバサバサと切って行きました。
『今からタイム測るし巻きや!!』
『怖すぎて怖すぎて…近寄るのもイヤやけど美容師としてものすごく魅力的だった』
週二回のレッスン日は深夜迄ありましたが普段は営業のみだったのでまだまだトレーニングをやりたかった
支店のメンバーも加わるセミナー受講等今まで経験した事のないサロンワークにただ喜ぶ半人前美容師の私でしたね!



☆初めての独り暮らし☆

2010-01-04 08:02:28 | ひとり言
ある一部の資金を持参し、独り暮らしに必要な家庭用品を買いに行きました。 向かうお店は『中古品店やな!敷金礼金に電話を借りたりするお金は残さないとあかんから新品はあきらめようか…』
二層式の洗濯機…八千円
リモコンなしの手動式のテレビ…五千円

めっちゃ嬉しかった!!
日用品は母親が家にある物を用意してくれていましたそれと同時期に
内定者としてサロン見学と住居を先生と奧さんと私と母親の4人で決めに行きました。
サロンは美容室と理容室と一体化しているユニセックスサロン体制で男性客が多かった。
両方の免許を持っているスタッフが多かったですが、大体女性客を担当するのは女の子スタッフ。オーナーは初めてのお父さん世代の男性です。
私を含め5人の女性スタッフと理容スタッフは7人位で本店は12人、支店はもう少し少ない人数でした。

住居はファミリー向けの二階建レトロな雰囲気の文化住宅に決めました!!
外観はレトロですが、ものすごく広くて感動!勿論、和式トイレにシャワーなんてありませんでしたが全く気にならなかった。





☆二足のわらじ☆

2010-01-04 07:39:12 | ひとり言

美容師の卵にガソリンスタンド
年齢も二十歳を迎えた。
私の仕事はシャンプーが主で時にはブローとワィンディング(パーマを巻く)
当時の流行りとは
ソバージュやワンレンのヘァスタイルが若者にうけていましたね!

私はパーマにハマりました『真っ直ぐにはカットできるから』って友達を呼んでサロンに来店してもらった友達は美容師になっていく私を変わらず応援してくれた。パーマは深く楽しかった。『綺麗に巻けたら綺麗にあたるねんなぁ~髪質によって薬液選び…毎回の髪の状態をチェックしてカルテにのこさんとあかんな』
スキになってくると仕事の見る角度が変わってきました。

『先生が何故ああしはったんやろう?』

HELPに立つ私の頭の中はいつも『(・・?)』
そしてその技術の過程を見て仕上がりを見て考えていました。

朝~夜まで1日中働きましたがタフでした。

大阪行きが決まり、退職したいと先生にも伝えました約二年間このサロンでお世話になりました。
先生は
『寂しくなるけどそのサロンに行った方がちかちゃんは伸びると思うから頑張ってね!』

二年間勤務中一回も私を叱る事もない温厚な先生でした。人を育て上げるのは優しさだけではあかんのかな?と色んな先生と出会って考えていました。