福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

☆国家試験と転機☆

2010-01-03 23:25:42 | 日記

インターンを終えた私は、国家試験の学科を合格し、実技トレーニングをサロン後でと自宅でと頑張っていました。厳しい両親も時にはこっそり部屋を覗き
『タイム入ったか?』
『綺麗に巻けたか?』
声をかけてくれました
無事一発で合格!!

晴れて美容師の資格をとれた時は母親は初めて褒めてくれました。母親の喜ぶ顔は私にとって一番嬉しかった。迷惑や心配ばかりの十代でしたが私はその頃違うサロンに移る準備をしていました。
もっと両親に喜んでもらいたい気持ちがあって、大阪吹田にある2店舗ある中型サロンの面接を受けようと決めていました。
通えない距離で独り暮らしになります。
インターン先のサロンには内緒で半年間夜のアルバイトを始めました。
夕方6時にはピッタリ終わるサロンから向かう場所はガソリンスタンドです。朝8時半~6時迄サロンワーク… 7時~12時迄のガソリンスタンド勤務
半年間で資金調達できました。罪悪感は勿論ありましたが次に待つサロンに美容師として懸けたい気持ちが強くありました。
一人前のスタイリストになりたかった。
仕事がたくさんできるサロンに魅力を感じました。


☆インターン時代☆

2010-01-03 23:02:05 | 日記

見習い時代のサロンには何故か行けなかった。
選択したインターン先のサロンは京都二条にある親子で営む個人店でした。友人のサロンのディラーさんからの紹介でした。娘さんがお産まじかと聞いていました。そこには可愛い二人のお孫さんもいてアットホームな雰囲気でした。
無事出産された娘さんは、サロンに復帰されました。忙しくなれば赤ちゃん処ではありません。私は率先して子育てに協力しました。美容師でなければ保育士さんになりたかったんです。3人の子供達と過ごす毎日が楽しかった。
サロンの暇が続いても他人事気分『レッスン日もないしそんなん見れないし講習会は自分で行ってね』と言われてものんびりしていました。
ぬるま湯の心地よい環境にどっぷり浸かり甘える自分になっていました。
その甘さに気づいたのは、月日だけ流れていき技術力もメンタル面も低下…延び盛りの時期にこんな状態だったのです!
美容学校のお友達は既に、カットのレッスンに励んでいる事を知りその変わり果てた自分の事を恥ずかしいのとシャンプーしかできない情けなさと初めて焦りだしました。


☆卒業と悔し涙☆

2010-01-03 22:40:32 | 日記

私は友達と同じように卒業ができました。
卒業式を終えて一番に卒業証書を見せたかった人がいました。
その人とは突き放してくれた母親でした。
学校から真っ先に帰宅した私は玄関のベルを鳴らし母親の喜ぶ顔を見たかった。両手に開けて持つ美容学校の卒業証書…
ドァが開いた瞬間私は母親に…

『お母さん!私卒業できたで!!』

母親は…

『おめでとう。でも私は、美容学校卒業証書よりも、高校の卒業証書が見たかった』


母親はまだ私を許していなかった…卒業したけど国家試験も合格してないしそう言われても仕方ないな…と自分に言い聞かせましたが喜んでもらえなかった事が悲しくて悔しくて泣きました。
母親との心の距離感は中々近くならず母親もしんどかったと思います。
もっと素直に『なんで喜んでくれへんの?私頑張ったで』って何故言えなかったんだろうと今でもよくわかりません。
突き放す事が望む子育てだったのか?
癌を患った時にそんな話も含め心の距離感を近づける事ができました。
私の素直さが至らなかったんだと感じています。



☆高校恩師・友達との約束☆

2010-01-03 19:44:00 | 日記
中退した高校は厳しさのあまり友達は辞めたいとよく言っていました。
河原町の繁華街には保護者同伴でないと行ってはダメでしたが…
友達は変装しお忍びで志津屋まで食べに来てくれました。夜勤務で早あがり時は一緒に食事をして遊びました。担任だった恩師もお忍びで顔を見に来てくれていましたがタイミングが合わず働く姿は見てもらえませんでした。
規則が厳し過ぎてその反動から中退後非行に走る友達も多く私もそうならないかと美容師になるきっかけをくれた友達は『あんたが道に反れてグレたら私のせいやわ』っていつも心配してくれていました。
約束は『同じ時期に学校は違うけど卒業必ずしょうなだから絶対に辞めたらあかんで!!絶対に約束やからな!!』

『約束…必ず守りたかったみんなも辞めたかったのに担任の先生に口止めして辞めたからみんなを裏切る形になってごめん。イモズル中退が目に見えていたから全て内緒にしていたんや

多感な高校時代は子供と大人の狭間で色んな事を突発的に行動を集団で起こす難しい年代です。
友達が横道に反れていきみんなで『そっちじゃないでこっちやで!』と正道を導く心を学べたと思います。


☆手荒れに続く…試練☆

2010-01-03 02:38:21 | 日記
手荒れは依然治らずハードな毎日を過ごしました

試練とは…


十二指腸潰瘍になってしまいました。
毎朝病院で注射をうってから遅刻してサロンに通いとなりました。
痛みの辛さと先生達に迷惑をかける事がストレスとかわりました。
サロンは毎日忙しく夕方に抜ける事が厳しくなり遅刻が多くなりました。
忙しくなると日頃優しい先生もサロン優先される一面も感じました。
ものすごく悩みました。
先生の期待に添えない自分と学校の単位も落としていくジレンマに苦しみました

両親に相談し…先ずは学校卒業を優先し体調を整えたいと決めて見習い期間をストップしました。

先生は『卒業したら待ってるからね』と優しい言葉を未だ忘れていません。


十二指腸潰瘍も完治し… 美容学校を卒業したらずっとサロンに立てるのだからとサロン依存せず同じ接客業であった初めてバイトした志津屋にふたたび戻りました。


社員さんからも歓迎してもらえ、色んな仕事も覚えていた私は新たに入って来られる新人社員さんやアルバイトさんに指導を命じられました。
責任感を初めて感じました相手は全て私よりも年上の方ばかりでしたがチームワークやチームプレーの素晴らしさも経験させていただきました。

この選択は今でも後悔はありません。






☆見習い時代の初任給☆

2010-01-02 23:43:54 | 日記

当時雑用とシャンプーしかできなかった私の初任給は4万円でした
バイト時代のお給料は16万円でしたがその4万円を手にした時の想いは、
『重い金額やな』ってものすごく嬉しかったです。 念願のサロン勤務で夕方から抜けて学校に通える有り難さに感動していました。でも学費を支払っていけるのか?と両親は心配していましたがあえて言葉に出さずに交通費を出してくれたり時には服も買ってくれました
帰宅時間も遅くなります。朝も早くいつも暗い空しか観てない生活と変わりました。
手荒れが酷かった時期は、自転車のハンドル操作がてこずりバランスを崩して転倒したり…自分の髪の毛が洗えない時は母親がシャンプーしてくれました
十本の指の節々は全て割れて肘まで荒れていましたが『めっちゃ痛いし痒いけど一人前の美容師になる迄に辛抱しかないやん!手荒れは美容師してる証拠やん』と日々一人前の美容師になっていく自分に酔っていましたね
学歴がないって言うレッテルや両親に対しての罪悪感は完璧なスタイリストになった24歳迄の期間心の中は正直しんどかったです

☆17歳夜間美容学校へ☆

2010-01-02 19:44:19 | 日記
無事翌年の秋に関西美容専門学校夜間部へ入学できました

志津屋さんとお別れとなり晴れて初めての美容室で見習い修業を入学と同時期にとなりました


美容知識が全くない素人の私…年齢も17歳でしたねサロンは大阪府寝屋川市にある小さな個人店でしたオーナーは五十代の女性、子供はいないと言ってられて私を含め三人のアシスタントの四人営業でした。 先生の明るくチャキチャキサッパリした性格はどんなお客さんにも喜ばれていました。客層が幅広く、ファミリーでのご来店が多かった。カッターは先生一人だけでしたが仕事が早過ぎてものすごくパワフルな女性美容師さんでした
毎日本当に忙しく気がつけば私の手荒れはものすごく酷く荒れていました。私は見習いなのでまだまだ仕事と言っても掃除と準備、シャンプーしか出来ない状態でした。
先生は忙しい中でもちびっこの私を気遣ってくれ、『シャンプーは体力がいるからご飯食べておいで!』 先生はご飯処ではない状態に追われていました。
『もっと仕事ができるようになったら先生にご飯食べてもらえるのにな…』

覚えの遅いのろまの亀サンだった私のレッスンにも学校がない曜日には付き合って下さいました

『ちかちゃん私には子供がいないから…将来このお店をちかちゃんに譲りたいと思ってるねんだから私について来てね』


私は不思議でした。
シャンプーしか出来ない私に店を譲りたいって…私の何を見て言ってはんねんろ…
17歳の私には返す言葉がなくただじっと黙っていました。


☆初めてのアルバイト☆

2010-01-02 03:21:40 | 日記

アルバイト募集の張り紙を四条河原町の志津屋と言うパン屋さんの二階にある喫茶部に決まりました。
子供の私を社員さんは優しく色んな事を教えてくれました

働くって楽しいやん

しかしながら…

暇な日は二時間で上がる事もあり内心焦りました 違うバイトの掛け持ちを閃き即面接に行きましたら…
『高校の学歴ないのですねちょっとうちは無理やね』

学歴社会の厳しさを初めて知りました。

でも?志津屋さんが忙しくなり1日八時間勤務が安定しました
みるみる時給も上がって行き目標金額も夢ではないLUCKYガールでしたね

社員さんからも

『美容学校早く行けたらいいね美容師と同じ接客業やから遠回りしてないでお客さんの様子や仕事全てに伺う姿勢…観て感じて行動に移す事を忘れたらあかんよ』

観て感じて行動パターンか
観て善い事は真似たらいいんやね

社会の常識をこのアルバイト時代に色んな方々からの心に響く助言を頂けました



☆16歳見習い修業時代☆

2010-01-02 02:59:31 | ひとり言
昨日の書き込みをした後で昔の見習い修業時代背景を思い出しました
∞振り返る十代の私∞
高校一年の冬休みに高校中退届けを父親と一緒に提出しました。
風邪をこじらせで入院中のベッドの上で『留年するかもしれないな?』と一人考えていました。京都1厳しい高校と噂の校則は学校行事に休むと色々な処罰が与えられました。『病気で入院してたのになんで留年にクラブ停止なん?』
16歳の私は疑問に感じ担任の先生に訴えました。
納得いかず…高校を辞めて学歴なくなってしまうなら私は何の職業につけるんだろう?
後ろの席のお友達との会話から…お姉さんが関西美容専門学校に通ってる…なら私は美容師になるしか道はないな
安易な考えを母親から叱られました。
『高校も卒業できない子に美容師なんてなれるわけがない。そんなに美容師になりたいなら全て自分の力でやりなさい!!』

その通りやなって感じました

だから昼間に働き入学金を先ずは貯めて、夜間の関西美容専門学校に通い、朝から夕方までサロンで見習い修業にと入学迄のビジョンをスケジュール帳に書き残し、掲げました。
時には挫けそうになる自分の弱い心を支えるのは自分が決めた目標の文字でした
未だにその習性は継続しています


☆謹賀新年2010☆

2010-01-01 17:21:46 | 日記
皆様明けましておめでとうございます
今朝は年明けにふさわしい快晴の京都でしたよ

久々に子供達とゆっくりとした朝を迎え気持ちもリラックマのクマチャン気分のchikaクマ+アミクマ+マナクマ一家

ちなみに…

今年の年賀状もリラックマなんです
癒されてくださいねっ


今は久々に実家に3人である物体を背負い…新年のご挨拶
働き者の父親の帰宅は夜遅くなります
ゆっくり話したかったのに中々タイミングが合いません

ある物体とは画像のトロフィーです
昨年秋のコンクール優勝トロフィーは両親へ贈ることにしました私は高校中退しこの美容の世界に入りました。学歴のない私を影ながらいつも厳しく心から支えてくれていました。
両親には感謝仕切れぬ思いです。
五年生の長女も美容師の道に進みたいと言っていますこの間はスタッフと一緒に私の髪の毛を染めてくれました指導するスタッフの言葉を素直に聞いて頑張っていました
未来が楽しみです


私の夢


子供達の夢


夢のある生き方が私は昔から大好きでした

皆様それぞれの道…夢の第一歩・開花ある素晴らしい一年間となりますように心から応援しています
共に耀きましょう

HAPPY寅