己を知らざることや、知らぬことを知っているように空想して
知っていると思い込むことは
狂気にもっとも近いクセノフォーンここでいただいたコメントがとっても興味深くって、思わずブログ本編にて続編
人生を語るときは現在を生きてるっていうよりも、過去と未来の狭間にいるって感覚のほうが、あたしはしっくりきます
それはもしかしたら、過去の記憶を頼りにした未来のイメージを常に頭の中で描く、その残像を視覚と呼んでるからかもしれない
・・・何だかちょっとイタイ子な文章ちっく(しかも綴りながら「・・・そうか?」ってツッこむ自分がいるの上手く言葉二デキナイヨー)なので、もうちょっと具体的に(笑)。
子どもの口癖ってその子の潜在的な力を引き出しもするし押し込めもすると思ってます
伸びの大きな子の三大口癖は「なんで?」「どうして?」「知りたい!」
疑問詞と感嘆詞が会話の中にいっぱい出てくる子ってゆくゆくでっかくなるなーって思う
一方で、伸び悩むだろうなーって子の口癖は・・・「知ってる」だと思ってる。
思考を促す魔法の言葉があるように、自らの思考を止める脅威の言葉もあるんだって思うよ。かくゆうあたしは、相当知ったかぶりの小学生でしたけど・・・何か?(笑)
学びは既知と未知をつなげることだって以前ブログに書いた覚えがあるけど、教師の果たすべき役割ってそれとともに、いかに子どもたちの持つ既知概念を壊して未知なることだと自覚できるようにするかが腕のみせどころなんじゃないかって、最近おもいます。
知っていること、きいたことがあること、みたことあるもの、それがいかに未知なるものであるかってことに気づくことができるなら、今の2倍も3倍も人生楽しめる気がしてなりません
人生をより豊かにするコツは、一日3回の感動と30回の感謝の気持ち
そんな思いを抱いてます
ソクラテスの“無知の知”・・・初めて耳にし意味を飲み込んだときの衝撃ったら、今でも忘れられません脳天直撃で今までのあたしはおそらく即死、だったんぢゃないかな
今映ってるコレ、実はフィルターがかかってるんだぞーって自分の脳みそに確認するだけでも、少し見え方が変わってくるんでしょうか、ねぇ??
モノを見るときに下敷きがあるとより良くみえる気がする理由は、二次元を三次元、三次元を過去の姿やバックグラウンドを含めた四次元に、人間のイマジネーションの力を借りてみることができるんじゃないかなーって希望的推測を持ってるからです
何の偏見も先入観もないまっさらな状態って、それだけで出会うものみんなに好奇心刺激されますもの
諸々のハジメテ、遥か昔すぎて、、、そのとき高鳴った胸の鼓動の速さと、麻薬みたいな脳内物質の残り香くらいしか記憶にとどめられてない・・・
知っていると思い込むことは
狂気にもっとも近いクセノフォーンここでいただいたコメントがとっても興味深くって、思わずブログ本編にて続編
人生を語るときは現在を生きてるっていうよりも、過去と未来の狭間にいるって感覚のほうが、あたしはしっくりきます
それはもしかしたら、過去の記憶を頼りにした未来のイメージを常に頭の中で描く、その残像を視覚と呼んでるからかもしれない
・・・何だかちょっとイタイ子な文章ちっく(しかも綴りながら「・・・そうか?」ってツッこむ自分がいるの上手く言葉二デキナイヨー)なので、もうちょっと具体的に(笑)。
子どもの口癖ってその子の潜在的な力を引き出しもするし押し込めもすると思ってます
伸びの大きな子の三大口癖は「なんで?」「どうして?」「知りたい!」
疑問詞と感嘆詞が会話の中にいっぱい出てくる子ってゆくゆくでっかくなるなーって思う
一方で、伸び悩むだろうなーって子の口癖は・・・「知ってる」だと思ってる。
思考を促す魔法の言葉があるように、自らの思考を止める脅威の言葉もあるんだって思うよ。かくゆうあたしは、相当知ったかぶりの小学生でしたけど・・・何か?(笑)
学びは既知と未知をつなげることだって以前ブログに書いた覚えがあるけど、教師の果たすべき役割ってそれとともに、いかに子どもたちの持つ既知概念を壊して未知なることだと自覚できるようにするかが腕のみせどころなんじゃないかって、最近おもいます。
知っていること、きいたことがあること、みたことあるもの、それがいかに未知なるものであるかってことに気づくことができるなら、今の2倍も3倍も人生楽しめる気がしてなりません
人生をより豊かにするコツは、一日3回の感動と30回の感謝の気持ち
そんな思いを抱いてます
ソクラテスの“無知の知”・・・初めて耳にし意味を飲み込んだときの衝撃ったら、今でも忘れられません脳天直撃で今までのあたしはおそらく即死、だったんぢゃないかな
今映ってるコレ、実はフィルターがかかってるんだぞーって自分の脳みそに確認するだけでも、少し見え方が変わってくるんでしょうか、ねぇ??
モノを見るときに下敷きがあるとより良くみえる気がする理由は、二次元を三次元、三次元を過去の姿やバックグラウンドを含めた四次元に、人間のイマジネーションの力を借りてみることができるんじゃないかなーって希望的推測を持ってるからです
何の偏見も先入観もないまっさらな状態って、それだけで出会うものみんなに好奇心刺激されますもの
諸々のハジメテ、遥か昔すぎて、、、そのとき高鳴った胸の鼓動の速さと、麻薬みたいな脳内物質の残り香くらいしか記憶にとどめられてない・・・
・・・今日になってようやく本題なんですけどね、本質を“見抜く”ためには、知識という下敷きと、経験っていう活動が不可欠だと思うんですよ。
あたしは経験主義者ですので、考え込むならやっちまえ!!タイプのざっくり人間だと自負してるんですが、シャカイジンになって思うようになったのが、知識を敷き技術を磨くことで、より良く見えるものってあるなぁってこと。
系統的な学習も、つながりや段階がもっとわかりやすい形で見えたら、もっと“学ぶ面白さ”にくいつく子が増えてくんじゃないかなぁ。
学ぶことは人生最大の贅沢な遊びですもの
今、10月下旬の代表授業に向けて、学年のせんせーに協力してもらいながら準備を進めてるわけなんですが、子どもの実態から授業構想を組み立てるために、KJ法とかマトリックス使って頭の中に散ってる子どもたちの姿を関連づけていけばいくほど、ホント見えてなかったのねって部分が露呈してく。
今回の記事は、書籍で誤魔化してはいるものの、ほぼ自虐ネタですけん・・・。
乱雑な思考過程を整理するトレーニングにはなるけどね
マトリックスの軸をシフトしていく思考パターン、やっと活用できるかもって思えるよになってきたー
頭ん中で組み立てるのはまだまだだけど。。
ただいえるのは、子どもたちの様子が見えてくると授業づくりも断然面白いってこと
もうちょっとがんばるかーー。
現段階での、あたしの中での“みる”という下敷きは、以下の5段階です
①眺める
普段あたしたちが“みる”という、おおよそはここに該当するんじゃないかと。
思い出すときに、色とか形とか、数とかなかなか思い出せないの
「信号の赤は右側?左側?」「八つ手の葉はホントに八枚?」みたいに、たまに聞かれるとあれ?って思うことは、たいてい眺めている状態なんじゃないかと思います。
②みる
「あれっ?」って思うこと、“はてな?”を発見すること
せんせーが子どもたちをみる、最低ラインだとあたしは思ってる・・・。(しかし・・・毎日欠かさずって結構難しいのよ)
③よぉくみる(笑)
いわゆる「観点をもってみる」ってやつですね。理科の観察はココに当たります。
五感でみる。触る、耳を近づける、香り、舐める、もちろん眼も使う。
道具を使う。ルーペ、定規、顕微鏡・・・。
比較する。研究の基礎ですよね。
数量的にみる。研究方法がわかんなかったら、とにかく数を数えろ!!ってやつですww
予想(疑問)を持ってみてみる。
④みつづける
③をすることによって、「これって??」「この場じゃわかんないぞ!?」って疑問を発見すると、調査段階に入ります。夏休みの自由研究って本来はこの段階だと思うし、大学の学部生くらいの初期調査はここに当たるんじゃないでしょーか?
ここで初めて時間軸が加わって、四次元でモノをみるようになるんですねぇ。
⑤みぬく
物事の本質がみえている状態だと思います。
どの分野においても、まだまだここまでは到達している気がしません、あたし自身が
だいぶ偉そうに語っておりますが、もちろん文献より(※)ですよ。
思考整理の役割も果たしてるので、書きながらあたし自身が一番学んでおります^^;
学生のときに学んできたはずなんだけどなぁ・・・
よく文系っぽいってゆわれるんだけど、一応専門は“理科”、なんですよ。。。
ホント文系向きな気がするもん最近・・・。植物の名前とか全然覚えられないし
※『自然観察のし方』ニュー・サイエンス社
「頭のカルテ」で子どもをとらえる技術
今まで、目の前でめまぐるしく起こる物事。
あたしはただ、傍観していただけだったんだなぁってことがよく解る。
言葉ってとっても素敵。アタマの中にある漠然としたイメージを、相手に伝えるために必然なモノとして生まれ、歴史の中で精錬されてきたものだからこそ、国の本質を知るための大切なツールの一つだってあたしは考えてる。
膨大にある言葉をカテゴライズしていったときに、どのカテゴリーで語彙が多いか、言い回しやパターンがたくさんあるかって視点で考えることは、その国の文化や習慣、地理的条件、住む人の思考を知る手がかりになると思う。
日本語に色を表す言葉が豊富なことも、この色彩豊かな国で生きてきた人たちの感性の深さを物語っているよね「赤」って意味を表す言葉だけでも、相当数あるらしい・・・数えたことないし、それほど詳しくもないけど。高校の古典の授業で、ディテールはすっ飛ばしてこのテの言葉って多いなぁって感覚だけ記憶に刻んでたからさ(笑)
“みる”っていう言葉、“きく”って言葉もたっくさんあるよね。漢字変換するとみえてくる。
中国ではもっともっと多いらしいけど
とある書籍によると、“みる”って大きく5段階あるんだって。
まだまだ実践は未熟なので、確かだって実感はなかなか湧かないんですが
・・・続きはまた明日ね
あたしはただ、傍観していただけだったんだなぁってことがよく解る。
言葉ってとっても素敵。アタマの中にある漠然としたイメージを、相手に伝えるために必然なモノとして生まれ、歴史の中で精錬されてきたものだからこそ、国の本質を知るための大切なツールの一つだってあたしは考えてる。
膨大にある言葉をカテゴライズしていったときに、どのカテゴリーで語彙が多いか、言い回しやパターンがたくさんあるかって視点で考えることは、その国の文化や習慣、地理的条件、住む人の思考を知る手がかりになると思う。
日本語に色を表す言葉が豊富なことも、この色彩豊かな国で生きてきた人たちの感性の深さを物語っているよね「赤」って意味を表す言葉だけでも、相当数あるらしい・・・数えたことないし、それほど詳しくもないけど。高校の古典の授業で、ディテールはすっ飛ばしてこのテの言葉って多いなぁって感覚だけ記憶に刻んでたからさ(笑)
“みる”っていう言葉、“きく”って言葉もたっくさんあるよね。漢字変換するとみえてくる。
中国ではもっともっと多いらしいけど
とある書籍によると、“みる”って大きく5段階あるんだって。
まだまだ実践は未熟なので、確かだって実感はなかなか湧かないんですが
・・・続きはまた明日ね