前記事のアンパンマン列車の後ろに見えていた坊ちゃんスタジアム
その最寄り駅である「野球駅」こと「市坪駅」
野球と書いての・ボールと読む
何故、別名「野球駅」かと言うと。。。
野球を愛した正岡子規に敬意を表してという事だろうか
子規は野球殿堂入りをしている
明治17年
東京大学予備門時代にベースボールを知り野球に熱中したといわれる
22年7月には郷里の松山にバットとボールを持ち帰り
松山中学の生徒らにベースボールを教えた
23年2月、『筆まかせ』の雅号の項に「野球」が初めて見られ
幼名「升(のぼる)」から(のぼーる)と読ませている
29年には「日本」新聞に連載された『松蘿玉液』の中で
野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説している
野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ
新聞や自分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献をした
【追記】
子規が残した野球を詠んだ句・歌
「まり投げて見たき広場や春の草 」
「恋知らぬ猫のふり也球あそび」
「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」
「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」
「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」
スタジアムの前の駅に野球駅の別名とはこれまた、面白く、親が松山出身の友人に話してみましょう。
野球を詠んだ短歌、俳句には1度もお目にかかったことがないですが、ちょびママさんは如何ですか?
正岡子規といったら学校で習ったほんのちょっぴりのことを
知っているだけで、しかもそのほとんどを忘れてしまっている私。
野球好きだったことも今回初めて知りました。
野球と幼名をかけてのぼーる、面白いですね。茶目っ気のある
人だったのですね。
自らも野球選手として活躍し、野球を愛しその普及にも力を注いだ人が、
晩年は結核で寝たきりの状態だったということに、胸を抉られるような
気持ちがわきました。そういう状態であっても最後まで短歌俳句を
読み続け、文筆活動も続けたのですから並大抵でない精神力の
持ち主でもあったのですね。
いろんな人とのかかわりがあるのですね。
松山は坊ちゃんですし「の・ボール」納得の読み方です。
駅に別名もあるのですか?
アンパンマン列車も本当に可愛くって、中まで凝ってるようで、見てみたいと思いますね。
広島に来たころは、道後温泉から四万十川、高知と回ったのですが、たちが家族に加わって、いけなくなってますね。
いつか見て、乗ってみたいですよ。
神宮があるので大学野球はやりませんが、都民は草野球を楽しむことができます。
瀟洒で静謐な佇まいで子規の人柄が偲ばれ、好きな場所です。
その正岡子規。機知に富んだ方だったんですね~
野球、のぼ~る。
愉快です。いち早く野球の魅力を日本に広めた子規。
微妙な間のあるスポーツで、相撲に似ています。
そのへんを察しての紹介だったかもしれませんね。
ミニ大河ドラマで「坂の上の雲」を撮影中ですね。
松山ブームがやってきます。
賑やかになりますね。
好きな小説です。
名前は知ってました。
地元の皆様に愛されている感じが出ていて
良いですねぇ~
アンパンマンの列車も可愛いですねぇ~
ちっちゃ子がいたら喜びそうです♪
野球の句を詠まれていたなんて、知りませんでした!
「・・・野球の三つのベースに人満ちて・・・」
なんて、すごく共感できます!
野球好きには、これはたまらない遺産かもしれません
ちょびママさん、
紹介してくださって
ありがとうございます。
野球場が駅になってるんですね~
こういう所は珍しいのではありませんか?
やっぱり 今でもここで野球やってるんですか?
しかも正岡子規が野球好きだったとは…。
野球に関する歌があったんですね。
借りてピッチング練習もしてきました。
ぼっちゃんとマドンナ球場。
県外から情報を得ると静岡がサッカー王国のように野球は愛媛なのですが意外と地元の人は行ったことないという人もいるんですよね。この周辺は畑も多くて心地よい場所ですね。
子規と野球の関わりは知っていましたが…
幼名「升(のぼる)」に因んで「野球(のぼーる)」という雅号は面白いですね(笑
子規というと病(結核)が即、頭に浮かびます…
闘病姿の弱々しいイメージ(?)なのですが…
活発な頃があったのですね…
「紅の 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる」
は情景が沸々と湧いて…好きな短歌です~♪
感性が研ぎ澄まされている…と感じて…
こんな歌の方が子規らしいと私には思えるのですが…?
いろんな子規像があるのでしょうね…