寒い中、頑張って咲くテナチュール
【 愚痴の吐き出しです 】
正月2日、他県に住む弟から電話
ずっと疎遠だったのだが母の死後
年に何度か電話がかかってくるようになった
が、いつも酔っ払ってる
弟、55歳、独り身
気楽な反面、寂しいのだろう。。
正月だし
なるべく機嫌良く話そうと思ったがダメだった
毎回、後味の悪いまま電話を切ることになる
ま、毎度のこと
酔っ払ってる弟は覚えてないと言うんだろうけど
弟とは気が合わない
というか、父とも、母とも気が合わなかった
子供の頃からずっと
自分だけ血がつながってないんじゃないかと思ってた
だから早々自立して実家を出た
いつも私のことを「お前はおかしい」と言ってた実家の人たち
なのにそれぞれいろんな理由をつけて私を頼ってきた
言いたい事はいろいろあるが
父も母も他界した今となってはもうどうでも良くなった
ちょびパパは
「俺が死んだら身内は弟しかいなくなるんだから仲良くしろ」と言う
が、弟は自身が一番嫌ってた父と年々そっくりになってきた
その上、私が母を苦手に思ってた部分まで受け継いでる
褒められたことじゃないが
父にも、母にも、弟にも
私の方から電話したことは一度もない
何かを相談したことも一度もない
ちょびパパと一緒になる時
実家の人たちは
「いい人に拾ってもらって良かった」と言った
夫の家は農家で家も立派で裕福だった
うちはかなり貧乏だった
だから「拾ってもらって」という発言なんだろう
普通なら22歳も年上の相手と一緒になると言ったら
もっと違う言葉もあると思うが
そういうことには無頓着だった
農家で80過ぎた義父母と同居
親戚筋に囲まれた環境の中
しきたりがいちいち分からなくて苦労したこと
ちょびパパも人当たりはいいが実は昭和な男なこと
長く続いた介護生活
子どもが出来なくて私の居場所がなかったこと
それ以外にもいろんな事があった
幸せではあったが泣いた夜もたくさんあった
そんなこんな私に興味のない実家の人たちは
「いい人に当たって運が良くてズルい」と言う
正月もまた弟がそう言った
そして
「姉ちゃんが幸せなのはちょびパパのおかげ
いい人に拾ってもらって良かった」とお決まりのことを言う
またか。。。と気持ちが冷めていく
母が弟を溺愛したように弟も母大好きを隠さない
「今でもおふくろの事を思い出しては号泣する」
「おふくろ、姉ちゃんと暮らして幸せやったんかなぁ」
「姉ちゃんがおふくろを引き取ったんだから
もっと良くしてやって欲しかった」
「あのまま一人暮らししてた方が幸せだったかも」と勝手なことを言う
むちゃくちゃ腹が立った
「確かに母さんは私と暮らすのは嫌だったと思うが
ご近所さんが心配して私に電話してくるほどボケ始めてた母さんを放っておけと?」
「あんたは母さんに何してあげた?」
「母さんはあんたと暮らしたいと言い続けてたのに知らん顔したのは誰よ!」
それだけ言い返して電話を切った
また疎遠になりたい。。
コメント欄を閉じています