今日から始まる札付きゴン太ことゲンさんの自立物語
おはようございます。
脳卒中の後遺症やスポーツ・労災・交通事故で片手が不自由で苦労している人の味方。
片手で歯磨きParalymcup開発中の原田太郎ことゲンさんです。
今日からはじめます。
札付きゴン太ことゲンさんの自立物語!
平成15年3月21日発症(脳内出血)
身障1種1級(片手で運転します。、当然だよね、片麻痺だもの)
七沢リハビリテーション病院脳血管センター平成15年4月入院10月退院
それは平成15年3月21日突然やってきた。
若い時からやりたかった人生最後のこの仕事を始めて3年目。つい数時間前まではお客さんのおもてなしをしていた。と言っても料理をしながら、お皿を洗いながらであるが。(今でも小田急線経堂駅沿いの西通り入り口ではやっています。店の名前は「酒菜すゞはち」女将さんはチャキチャキの深川生まれ娘の店長は優しいを絵に書いたようなカバユイ娘)
ご機嫌の時空、朝起きて「さぁて、今日も仕込だ!人生だ!今日は誰がきてくれるかな~」とシャワーを浴びている時、大異変発生!?
そうです、昨日までの暮らしが今日も明日も続くはずだったのにそれを不意に断ち切られたのである。(この時は今の自分にこうも大変身するとは予想もつかなかったのであるがさらっとお読みください)。
最初は左手指先のしびれ感。次は左足親指、その隣の指と順番に少しずつローソクの火が消えていくが如く感覚が無くなっていく…。死ぬとは思わなかったが、不安は東京ドームよりでっかく「きたぁ~???きたぁ~???こりゃいけねぇ~!てぇ~へんだぁ~!!!」と思った。
その時思いっきり気付いたこと、真っ先に頭に浮かんだこと特別に教えよう。「オールヌード(フルチン)で救急車はないだろう…」ってな。
急いで体を拭いて、トランクス(俺いらの田舎じゃ猿股とも言う)穿いて、大邸宅?(と言いたいところだがほんの7~8歩だぃ)の居間へ行く途中、娘の部屋のドアをたたき「きたぞぉ~」って起こした(ここまではまずまず)。
居間のソファーの下に座りこんで、左方向の携帯電話を手にしようとしたらそのまま左へゴロリン…。
このときゃ完全に麻痺がおいでなさっていて自分じゃどうにもこうにも起きられねぇっトドってわけ。
娘に起こせと言ったところで、どっこい、こりゃまた簡単に起こせるもんじゃねぇ。
このときゃ左半身完全麻痺。
やっとのことで起き上がって、救急車の指示。意識はなんとかあった。ここまでがゲンさん(おいらのこと)の「前世」と呼んでいる。「現世」との分かれ道ってわけさ。
一番近い個人病院に搬送(荷物じゃねぇぞ)されたが、直ぐに「転送します」って救急隊員の有難いお言葉。
後でわかったことだが、見舞いに来る奴みんなが「あの病院は入ったら生きて出ることは少ない」と言う。(冗談だよっ!)
なぬっ?!知らなかったのはおいらだけってこと(笑)。都内の人は知っている。知らない人は覚えてねっ。それで、有名国立病院へめでたく転送されたってわけ。おいらの希望じゃねぇよ!この続きは又明日。
お読み下さった方有難う御座いました。ペコンペコン!
【ブログ執筆のポリシー】
・自分と同じ脳卒中で片麻痺障害の苦しみを持つ片手の不自由な人たちの元気が出る情報の執筆を心がけます。
・守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
・自立の第一歩で自分が最も欲しかった片手で歯磨きのできるParalymcupの開発の
志→挑戦→苦労・苦悩・挫折(今ココ)→必ずや達成→感動までの物語を執筆しま す。
・運営執筆にそぐわないコメント・トラックバックは削除等ひつように応じた措置 をとります。
脳卒中の後遺症やスポーツ・労災・交通事故で片手が不自由で苦労している人の味方。
片手で歯磨きParalymcup開発中の原田太郎ことゲンさんです。
今日からはじめます。
札付きゴン太ことゲンさんの自立物語!
平成15年3月21日発症(脳内出血)
身障1種1級(片手で運転します。、当然だよね、片麻痺だもの)
七沢リハビリテーション病院脳血管センター平成15年4月入院10月退院
それは平成15年3月21日突然やってきた。
若い時からやりたかった人生最後のこの仕事を始めて3年目。つい数時間前まではお客さんのおもてなしをしていた。と言っても料理をしながら、お皿を洗いながらであるが。(今でも小田急線経堂駅沿いの西通り入り口ではやっています。店の名前は「酒菜すゞはち」女将さんはチャキチャキの深川生まれ娘の店長は優しいを絵に書いたようなカバユイ娘)
ご機嫌の時空、朝起きて「さぁて、今日も仕込だ!人生だ!今日は誰がきてくれるかな~」とシャワーを浴びている時、大異変発生!?
そうです、昨日までの暮らしが今日も明日も続くはずだったのにそれを不意に断ち切られたのである。(この時は今の自分にこうも大変身するとは予想もつかなかったのであるがさらっとお読みください)。
最初は左手指先のしびれ感。次は左足親指、その隣の指と順番に少しずつローソクの火が消えていくが如く感覚が無くなっていく…。死ぬとは思わなかったが、不安は東京ドームよりでっかく「きたぁ~???きたぁ~???こりゃいけねぇ~!てぇ~へんだぁ~!!!」と思った。
その時思いっきり気付いたこと、真っ先に頭に浮かんだこと特別に教えよう。「オールヌード(フルチン)で救急車はないだろう…」ってな。
急いで体を拭いて、トランクス(俺いらの田舎じゃ猿股とも言う)穿いて、大邸宅?(と言いたいところだがほんの7~8歩だぃ)の居間へ行く途中、娘の部屋のドアをたたき「きたぞぉ~」って起こした(ここまではまずまず)。
居間のソファーの下に座りこんで、左方向の携帯電話を手にしようとしたらそのまま左へゴロリン…。
このときゃ完全に麻痺がおいでなさっていて自分じゃどうにもこうにも起きられねぇっトドってわけ。
娘に起こせと言ったところで、どっこい、こりゃまた簡単に起こせるもんじゃねぇ。
このときゃ左半身完全麻痺。
やっとのことで起き上がって、救急車の指示。意識はなんとかあった。ここまでがゲンさん(おいらのこと)の「前世」と呼んでいる。「現世」との分かれ道ってわけさ。
一番近い個人病院に搬送(荷物じゃねぇぞ)されたが、直ぐに「転送します」って救急隊員の有難いお言葉。
後でわかったことだが、見舞いに来る奴みんなが「あの病院は入ったら生きて出ることは少ない」と言う。(冗談だよっ!)
なぬっ?!知らなかったのはおいらだけってこと(笑)。都内の人は知っている。知らない人は覚えてねっ。それで、有名国立病院へめでたく転送されたってわけ。おいらの希望じゃねぇよ!この続きは又明日。
お読み下さった方有難う御座いました。ペコンペコン!
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