父が陶芸にはまっていた頃、母は短歌の結社に入って歌を作るのと、月々に発行される
短歌教室雑誌の編集に携わる時があって、結社に属する方たちの短歌の選出と
選者の感想や編集後記などを書いていた。
かたや父は「文章教室」というところに参加しているのはなんとなく知っていた。
思えば、小さい頃から、作文の添削をしてくれたのは母で、私の方が先に短歌教室に
入り、結婚後辞めたあと母が入り、20年ぐらいは「綱手」という結社で
短歌を続けたのは母。
私の文章を書く趣味は母譲りかと思っていたが、実家で陶器の作品以外に
文章教室で書いていた頃の父の遺稿がたくさん出てきて、その紀行文や、子供の頃の
思い出を貴重な歴史の物語として興味深く読むことができた。
両親共が、老後やっと自分たちにための趣味の時間が取れたのだということに
改めて思いを馳せている。
父が亡くなった時、父の実家のお寺「神於寺(こうのでら)」のことを書こうと思い
このお寺の縁起などを調べようと市のホームページを開いて驚いた。
住民からの寄稿文や絵を編集した風物百選 84 神於寺に
父が書いた文章をみつけたのだった。 ↑クリック
父が亡くなった2013年の初盆の時、山の中の小さなお寺に上がり
施餓鬼法要をして頂いたのをまた思い出している。