みなさま こんばんは😊
残暑厳しすぎですがいかがお過ごしですか
しかも今すごい雨☔️!
みなさまどうかお足元気をつけて🙇♀️
わたしは、
夏が得意じゃない+コロナ罹患後の調子が定まらない感がしばらくつづいていたもので、
お、復調したな✨と思いつつも
お盆も基本的には家でウトウトしていました。
ずっと、眠くて眠くて仕方なかったのもあったけれど。
たまにあるんですよね、
眠くて眠くての時期が😌
ご飯をたべて
お風呂につかり
ゆっくり眠る
っていう
この当たり前な日常の営みが
今のわたしには
体力やリズムを戻すため
滋養をつけるために
とてもとても大切なことに感じられています😌
体調不良の時こそ
からだの内側で全力で頑張ってくれている全ての存在に敬意を表する思いを持ちつつ
彼らの活動の邪魔にならないように、
回復のためにいまできることをさせていただこうって
いつからか思うようになっていて。
おかげさまで、今回も日常生活やお仕事には支障がないくらいに元気にはなったけれど
そこまで、その回復状態に身体を持っていくため消費したエネルギーを
今になってゆっくり蓄えているように感じています。
実はですね
このプロセスに心を寄せたこと、
今までなかったかもとも感じていて。
いままでは
体調不良から回復したら
よくなった!元気になった!!
はい次!!!
って、病前のテンションに呆気なく戻っていたんですよきっと。
たとえば仕事に穴を開けたあとだったりしたら尚更、もろもろ元に戻さねば!って
無意識になるよねそりゃとも思うし、
それが社会的にはわりと自然な姿と長らく思っていたんだろうなって思います。
だから、最初の腰痛長引いたときに
はい次!が出来なくて苦しかったんだろうしね…
回復後の第二次回復期(?) にじっくり
とりくむ余白を
実は
わたしのからだは望んでたのかもしれない。
今回はもちろん、これまでだって。
そう思うと
肚をくくって、
わたしの身体の連携プレーを
信頼して
わたしオリジナルの回復過程を静かに待つ余白を作ってみたくなりました。
余白って…
時間?気持ちの余裕?
ボーっとすること?
人によってこれって全然違うのかもしれないけれど
「あ、もしかしてこれがいいのかな?
これだ、これがいいんだ!」
みたいなサインに気付ける自分でいたいなと思うのです✨
それも余白のひとつかも💡
ああ、
なんかここに思い至ったことで
これまでの自分の
からだ、こころ、たましい
のあらゆる領域が一気に癒された感覚になりました。
「病気とは何かについての見方をはっきりさせよう。
ーすべての病気は、その経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない」
これはナイチンゲールが
著書「看護覚え書」で最初に述べている言葉で
わたし学生時代は
「へえー」
ぐらいの認識だったんですけれど
10年前に読み返したら、このフレーズにかなり衝撃を受けたのを思い出したりして。
わたしって
人それぞれの回復過程に昔から興味深々で
そこにどれだけ寄り添えるか
そればっかりを考えてきた人生だったから
目線をグッと内側に向けるだけ
そしてこれまで培った、それらのスキルを自分や大切な人たちに向けて放つだけでいいんでしょ?やるやる!
ってこれを書きながらわたしの中に自然に流れてきました
ありがと!任せたよ⇄任せてー!
っていうやりとりがなされたようにも思えて
なぜか謎のこころ強さがわたしを満たしているっていう
毎度おなじみの垂れ流し実況中継でした。
なんか力が満ちてきてる感覚が
急に凄くて面白いです✨✨
跳ね回りたくなるまであと少し、なのかもしれません😊
ではでは
またー✨✨
おやすみなさい🌙
さら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます