みなさま こんばんは😊
朝のお散歩が
都内も紅葉が美しくなってきましたね🍁
朝のお散歩が
おかげさまで至福のひと時になっています✨
風も色とりどりの木々も澄んだ空も最高✨✨
気持ちいいですねー😆
今朝歩いていて、ふと
「辛い」
「この痛みどうにかしてください」
「助けてください」
って言われる回数が比較的多い仕事を
長らくしてきたんだなあって思いました。
それってその方にとってのわたしが
からだやこころが
キツいしんどい時に出会う人だということであり
そのかたの人生のなかで
とても大切なタイミングで関わらせていただく役割なんだということでもあり。
責任重大であるのはもちろん
同時に大変ありがたいことだなと
思っています😌
少しでもからだの痛みが和らぐように
少しでも心が軽くあたたかくなるように
目に見えるものや見えないもの
沢山の情報をキャッチして選んで分析して
毎分毎秒ケア内容を更新する…
日々学び研鑽に励みながら
安心して
「助けて」
って言ってもらえる自分でいれたらいいなと思うし
そう言っていただけることに感謝しつつ
真摯にひとつひとつ向き合いたいなと
日々感じています。
そもそも
「助けて」
って言えることって、
「助けて」
って言える人がいて言える場所があるって。
それってとても大きいなって、
あらためて思ったんですよね😌
かつてのわたしは
人に頼ったり甘えたりが本当に苦手で
よほどのことがない限りは一人で解決しないと😤ってまるごと抱えたりしつつ
変に我慢強かったりしたもんですから
我慢を重ね重ねて限界を超えたあたりで
空に向かって
「助けて( ; ; )」
って実体のない誰かに呟いたことも一度や二度ではありません。
それなのに
助けてと
心の底から思ってるのに、
周りの人たちに対して
それを声に出すことが
ずっと長らくできませんでした。
それを口にするほど近しい人だからこそ
みっともない自分を見せたくないし
がっかりさせたくないし
心配や迷惑をかけたくないと
それはそれは強く思っていたからです。
「助けて」
って
わたし、
以前は
ファイト一発っていうか(年代…笑)
断崖絶壁で手を取り、
命懸けで体丸ごと引き上げてもらうような…なんかそんなイメージだったんですけども
いまはそれが少し変わったんだなと気づいたりもしていてですね😳
紅葉の中を歩きながら
朝から驚いていたんでした。
いまのわたしにとっての
「助けて」は。
たとえば
自分が握りしめていた何かを手放したうえで流れに身を任せてみるから
そばでそれを見ていてほしいとか…
なんとなくそんなイメージなんですよね😌
全体重を委ねる重さはそこにないっていうか、そんな感じ。
「助けて」
を言えるくらいに近しい人って
今のわたしにとっては
言葉や態度でどんなに「大丈夫」だと取り繕っても無駄なくらいに
わたしの弱さや強がりやその他諸々が長年にわたってバレているひとたちばかりなので
以前に比べて格段に
「助けて」って声に出すハードルが
低くなっているのは否めません。
助けて
って言える、言わせてもらえるって
やってみてわかったけど
そもそもがものすごい安心感だし、
信頼の証だとも思うから
それだけであらかた癒される領域が、
かなりあるように思います✨✨
もちろん助けてもらえた暁には、さらに
とめどなく感謝が溢れるわけですし😌
そして
そんなひとたちに
助けて
をもし要請されたらば
わたしにできることがあればと
もちろん喜んで向かうけども
その中身は相手の力を信じて祈ることが
メインだったりすることも多くって
やっぱりそこには重さを感じないんですよね😌
助けてー
↓
喜んで!
↓
助かったよありがとうー
↓
それは良かった✨
っていう助け合いの輪がくるくる軽く回るのが
人生後半の深みある楽しみだったり
醍醐味かも知れませんよね😊
その軽さを知るからこそ
限界を迎えるずいぶん手前の
「助けて」が放てるということでもあり✨
そこからどんどん素敵な循環が生まれることになるっていう😊
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